Posts categorized “日々の考え事”.

ジョブズと私。

今日、きっと世界中で似たようなブログ記事がいっぱい書かれているであろうが、やっぱりジョブズが亡くなった夜にちゃんと書いておきたい。まあ、自分のために。


私が最初に買ったコンピューターはMac・・・ではなく、NECのバリュースターだった。23万ぐらい出したのかな。確か私が大学2年ぐらいの時だったと思う。その昔『ゲームセンターあらし』を書いた漫画家のすがやみつるが『こんにちわマイコン』という本を書いていて、少年時代にその本を読んだ私は衝撃を受け、以来ずーっと”マイコン”が欲しいと思っていた。そして、バイトで貯めたお金でやっと買った”マイコン”。当時は既にパソコンと呼ばれていたかもしれないが・・・そこからパソコン通信にはまって。当時はダイヤルアップしかなかったので、通信している時間でお金が取られる。しかし『テレホーダイ』という契約をしていると深夜11時から朝6時・・・だったかな? とにかく深夜の時間は定額でつなぎ放題だったので、その時間を狙って、パソコン通信を開始し、朝までチャットに時間を費やしたものだった。

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【映画評】『レスラー』を観て。

遅ればせながらミッキー・ローク主演の『レスラー』をDVDで観た。ミッキー・ロークと言えば『ナイン・ハーフ』もそうだが、私は『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』の印象が強く、それだけに最初に顔がハッキリ見えた時は(なかなか見せない演出なのだが)、「・・・誰?」と思ってしまった。

大まかなストーリーはネット上に既に数ある映画評が書いてしまっているし、アマゾンのレビューのトップにはご丁寧にラストシーンすら書いてある。で、実際その通りの映画であるから困る。観る意味のある映画を観たい、と思うから、ついついレビューを見てしまうが、事前にあまりにレビューも見すぎるのもどうか、とちょっと思ってしまった。正直に言えば、ネット上で書かれているあらすじから、はみ出るようはシーンもなく、ストリッパーとの恋、娘との不和、などもそんなに劇的には描かれてない。なので、観た直後は、「確かにいい映画だけど、みんな激賞するほど感動もしなかったかな。」というのが正直な感想だった。

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普段、これだけバッティングセンターに通っているオレは、そろそろバッティング理論について語ってもいいはずだ。

・・・と言うわけで、アラフォーで急にバッティングに目覚めた私であるが、別に子供の頃に野球がうまかった訳でもなく、運動神経が優れている訳でもない。何しろバッティングセンターに通い始めの時は、80キロの球にバットがかすりもしなかった。(今でもやり始めに空振りしつづけることはよくあるが) しかし、徐々にコツみたいなものをつかみはじめて、今では100キロのボール、20球であれば、タイミングの取れてる時で、12〜15球はヒット性の当たり、内5球はホームラン性のライナーぐらい打てるようになった。(大したことないじゃないか、と指摘しない様に(笑)) 繰り返すが、基本的には私は運動オンチであり、普段体を鍛えている訳でもない。

そんな私だからこそ語れるバッティング理論があるはず。今日はそれについて書きたい。
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『IT MIGHT GET LOUD』

昨日、『ゲット・ラウド』という映画を観た。原題は『IT MIGHT GET LOUD』。


いきなり脱線するが、この手の原題を縮めただけの邦題って、日本人の英語力を馬鹿にしすぎてると思うんだよな。仮に日本人がタイトルの意味を取れないとしても、逆に英語の対する敬意がない、というか。だって、『Get loud』じゃ意味違ってくるでしょ。でもあれか、『イット・マイト・ゲット・ラウド』じゃ、紙面の都合上ちょっと長すぎたりするのか。うーん・・・。
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スティーブ・ジョブズ、2005年、スタンフォード大学でのスピーチ。

いつもの様にTumblr見てたら、いきなりジョブズのこのスピーチの訳文にぶつかって。これだから止められないんだなぁ、Tumblr。

全文訳は、私のTumblrでリブログしといたので、もし続きを読んで頂けるのであれば、まず先にこちらを見てほしい。

http://bono1972.tumblr.com/post/9077944280/steve-jobs

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流され往きて、しゅらしゅしゅしゅー。

昨日は奥多摩でキャンプ、そして奥多摩で一夜を過ごした後、そのまま奥多摩から「コミケ80」の行われる東京ビックサイトまで一直線。普段の私の不健康さを知っている人からすれば、まさに刮目すべきバイタリティ。しかしその裏には、いつもながらの”ボーノさんの優柔不断さ”が隠されているのであった。

旅の詳細は、全てを省略するとして(笑)、ちょっと考えた自分の事。普段であれば、前日仕事、休日一日目奥多摩、二日目ビックサイトのコミケに午後1時に集合、そして翌日も普通に仕事、となれば、一日目の奥多摩は終電で切り上げるのが、いつもの私。しかし「この月の角度だともう終電はない」とかなんとか、終電ネタで盛り上がってる時に、「まさかほんとに帰ったりしないよね?」と言われて、帰れなくなるのが、私らしいところ。空気を読まずに「いや、本当に帰ります。」と帰るのが、断る力、というか、ある意味大人の判断。帰ってしばらくは、文句のひとつも言われるかもしれないが、1時間もしないうちに話題にも上っていないし、誰にも恨まれていないのは分かりきっていることである。

けれど。最近は、普段のオレならしないないなぁ、ということを誰かに勧められた時、あまり断らない様に心がけている。健康状態に自信のない私は、ついここまでやると体に障る、と、自分で限界を手前に設定してしまう。なので、他人の提案をきっかけに、少しずつ無理して、少しずつ限界を無くしていこう、と思っている。私は精神力のみで体力が増進する、というマッチョな思想は全く持ち合わせていない。しかし、体の不調を敏感に感じ、物事に対してより慎重になる、という心と体の負の連鎖が、ますます自分を精神、肉体ともに駄目にしていくことは実感している。だから、たまに無理しないと駄目なのだ。

もうひとつ。前向きな精神や健全な肉体とは別に、向き不向きの問題。誰かに、こうしなよ、と言われたとき、それはもしかしたら、自分に向いていることなのかもしれない、と思うようにしている。例え、それを言われた瞬間、自分の中で、それはオレらしくないなぁ、向いてないなぁ、と思ったとしても。萩本欽一がかつて『ほぼ日』のインタビューで、「乗り気のしない仕事の中にこそ、運がある。」みたいなことを言ってた。それは、他人から見て、こいつにこれをやらせると面白いんじゃないか、向いてるんじゃないか、ということと、自分自身で、自分はこれをしたい、これが向いている、と思い込んでいることとの、齟齬のことを言っているんじゃないか、と考える。実は他人の方が、実に公正な観点から私自身の向き不向きをさらりと言い当ててくれている、ということは十分考え得ることである。

ま、そんなことで、元来意志薄弱、優柔不断な私は、それを是として、敢えて流されてみましょー、と。面倒だなぁ、無理っぽいなぁ、と思うところに発見あり、進歩あり、と。それが今回、少し無理な日程をこなしてみて、思ったこと。テントの片付け全くしなかったり、とか、コミケでは、疲労で黙りこくってたり、とかちょっと迷惑は掛けたけど。まあ、それは気にしない、ということで。

そんな訳で、これからますます時の流れに身を任せる決心をしたボーノさんであった。