ジョニー・キャッシュの生きた時代とその宗教観。

 
ジョニー・キャッシュのバイオグラフィみたいな番組見てたら、彼は両親が綿花農家で大恐慌もあって非常に貧しい暮らしをしていたらしい。彼は熱心なキリスト教徒なのだが、不作になると自分が何か神を裏切る行為を行ったのではないか?と真剣に悩んだりしたのだとか。それを見て、なるほど、今とは神との距離感が違うというか、神の存在がそのままその日の食料や生活と結びついていたんだなぁ、と思った。おそらく古代から現代、それも現在の様なさらなる農業革命がある前までは、自分自身と神との距離はかように近かったのだろう、と想像する。彼の歌には「Suppertime」(夕食の時間)とか「Pickin’ time」(収穫の時)とか、およそ現代のアーティストでは歌わない、歌えない農家の生活をそのまま描いたような作品がある。キャッシュとてそんなに古いアーティストではない。だが、今では全く姿を消してしまった歴史の中を彼はまさに生きていたのだ。

キャッシュの信仰を土着な信仰だとすると、現在の信仰はもっと頭でっかちな信仰というか、全く異質なものだと思う。特に、ヨーロッパに移住した中東、アフリカ出身の人の2世、3世が、社会的地位を得られず、イスラム過激派に絡め取れていく様は、宗教がただ単に不満のはけ口として利用されているだけであり、およそ本物の信仰とはかけ離れている様に感じる。宗教観対立や、それに基づく戦争は古代から繰り返されて来たが、キャッシュのように肌感覚で神の存在を感じていない人達が引き起こす宗教対立の先には、更に悲惨な結末が待っている様な気がする。ちょうど日本が既に体験したオウム真理教によるテロの様な異様な何かが。

ジョニー・キャッシュの歌う姿をみてそんなことを感じましたよ。

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