上岡龍太郎の死を悼む。

上岡龍太郎が亡くなった。公式に発表されてから、数日経つがいまだ上岡の死を悼む関係者のコメントを引用した記事が絶えない。最近、死亡記事が出てから、何日も記事になりつづける、いろんな人がその人の死を悼む、そんな人いたかな、と。しかも当人が芸能界を引退してから悠に20年は経っているというのに。

博覧強記で教養がありながらも、本人が憧れるのはあくまで芸人道。従って、どんなに真面目な論説をぶっても、最後にオチをつけるなど、芸人としての矜持を失うことは決してなかった。

教養人は世にたくさんいるが、あくまで芸人の視点で、人をおちょくったり小馬鹿にしながらも、市井の人間の心持ちを忘れず、常に笑いに昇華して、世の真理を常に一歩引いて客観視できる人のいかに少ないことか。

そういう意味では、上岡龍太郎という存在は現在に真に失われたものの一つであると感じる。

上岡龍太郎の話の後にこんな話を書くと若干気が滅入るのだが、最近、「無名より悪名」よろしく、礼節、礼儀、常識を一歳飛び越えて、耳目さえ集めれば良い、といったような芸人崩れ、文化人崩れのようなのが多すぎませんか?

ひとつはYouTubeみたいな、道徳的にはともかくViewさえ集められれば、お金が儲かる、という集金システムが幅を利かせていることにも原因があると思う。

そりゃ、金は欲しい。それこそ喉から手が出るほど(笑)

しかし、文化はどこへいった?道徳は?

私は拝金主義というのは、中国みたいな一度文化、文明がぶった斬られたような地域にのみ起こると思い、継続した文化のある日本はそこまで落ちたりはしないだろうと思っていたが、昨今の日本を見ているとどうやらそうでもないらしい。

しかし拝金主義なんてみっともない。文化、教養がない人間が唯一信じられるのが金だけで、そんなレベルの低いものですよ。だけども、そんな一段下のレベルに日本全体が落ちようとしている。

そんな時だからこそ、文化を理解し、また笑いを通じて民衆を理解する上岡龍太郎みたいな人の声がまた聞きたいんでしょうねぇ。

昔、パペポで上岡が「自分の葬式は、自分の死体をくり抜いて、目や口を動かすようにし、自分自身でいらっしゃいませ、と出迎える」と言っていたが、あれは嘘だったんですね(笑)

8月15日に思うこと。

8月15日。終戦の日。

改めて、沖縄戦などの被害者の声など、色々な報道番組を目にする。

戦争は悲惨だ。言うまでもない。

情報が統制されてはいるが、ウクライナの戦争を見ていても十分に悲惨さが伝わってくる。

だけど、いつも思う。戦争反対、だけでいいのか?と。

戦争の出来る国にするな、との声を良く聞く。

この声を聞くと、なぜ日本が戦略する前提なのだろう?なぜ日本に非がある前提なのだろう?と疑問を頂かざるを得ない。

ロシア、中国、北朝鮮。これらの国より日本の方が危険だというのか。あまりにおかしい。

自国を守る時、戦力の増強を検討するのは当然である。いくらこちらが平和を説いても、周りが武力を背景に物事に挑む国しかないのだから、それに不満を言っても現実的でない。ましては、その現実に目をつぶって、日本の武力増強を批難するなど、あまりに不誠実な態度と思う。

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根性論で少子化が防げるか?

「家族・地域の絆再生」政務官会議PT中間とりまとめ – 首相官邸

ツイッターで少し話題になっていたので、上記ページを読んでみた。

が・・・・・

今日の深刻な少子化の原因の一つとして、過度に経済的な豊かさを求め、個人を優先する風潮があると考えられる。家庭生活よりも職業生活を優先させ、個人が自らの自由や気楽さを望むあまり、生命を継承していくことの大切さへの意識が希薄化し、「結婚しない」あるいは「結婚しても子どもを持たない」方が、経済的、時間的な制約に縛られることがより少ないという考え方を背景に、非婚化、晩婚化、少子化が進んでいるという側面は無視し得ないと考えられる。

「家族・地域の絆再生」政務官会議PT中間とりまとめ

この辺で読むのが嫌になってきた。

私の認識では、特段凄く贅沢しようとも思わないし、子供は欲しいが、大学まで卒業させるのに掛かる費用を考えると、家族みんなが立ち行かなくなる、だから子供はあきらめよう。という人達が大半だと思う。

「過度に経済的な豊かさを求め」
ー今の日本で過度な経済的豊かさを求めてる人がどれだけいるか?

「家庭生活よりも職業生活を優先させ」
ー好きでそんなことしてると思う?

「個人が自らの自由や気楽さを望むあまり、生命を継承していくことの大切さへの意識が希薄化し」
ー上にも書いたがそこまでみんなお気楽じゃない。子供の将来はもちろん、自分の老後の資金さえ心配な人がほとんどで、子供に不憫な思いをさせるぐらいなら・・・と子供を諦めてる夫婦がほとんどじゃなかろうか?

なんていうか全体を通して、経済が右肩上がり、歳取れば取るほど給料も上がる、もちろん年金もばっちり貰える、こんな世代の人が中心となって考えた絵空事のようにしか思えない。

単純に言えば、今もお金がないし、将来もっとお金に困りそうだと思ってるから、子供を作らないだけで、それはいわば、この失われた20年だから30年だか知らないが、経済政策の失敗のひとつの側面に過ぎない。

それをマインドを変えれば、子供も作れる、みたいな根性論にすり替えられても、実際強制力がないのだから、表立って批判されずとも、出生率の更なる低下という厳しい回答が待っているだけだと思う。

一眼レフカメラのXデー。しかし・・・

ニコン 一眼レフカメラ開発を停止 – Yahoo!ニュース

とうとうXデーが来たかという感じ。

そもそもフィルムからデジタルに変わったときに、一眼レフである必要も失われたと思う。フィルムは現像するまで画が見れないから、ペンタプリズムを使って肉眼で映る範囲を確認する必要があったが、デジタルは、撮像素子で捉えたものをほぼリアルタイムで背面液晶に映すことも出来たのだから、最初から背面液晶を見て撮影することも可能だった。

ただ、デジカメ初期は撮像素子の解像度の低さ、液晶の質などの問題もあり、撮影する画を確認するにはこれまでの技術の蓄積があった一眼レフに一日の長があった。

しかしながら、上記の問題も技術の進歩と共に解消され、逆に一眼レフならでは問題が顕著になってきた。例えば、ミラー構造が邪魔して、連写速度がミラーレスに追いつかなくなってきた。またペンタプリズムを搭載する構造上、本体の小型化に限界があり、またフランジバック(レンズマウント面から撮像素子までの距離)もミラーレスより長くとらなければならず、レンズ設計の上でも足かせとなるようになってきた。また、コンパクトカメラ、スマホカメラの普及によって、画面を見ながら撮影することにユーザーが違和感を抱かなくなっているのも、一眼レフのシェアが大きく下がる原因となっているだろう。

ま、そんなこんなで風前の灯火となってデジタル一眼レフであるが、それでも現在のフィルムカメラか、それ以上の数のユーザーがデジタル一眼レフを使い続けると思う。

その一つの要因として考えられるのは、デジタル一眼レフの良さの一つは機械のカタマリであること。メカというのはやはり大きい。例えばシャッターを切ったときのミラーが跳ね上がる音と手ごたえ。

そして、ペンタプリズムを介してファインダーを覗くというのは、生理的に理にかなっていると思う。いくら液晶が良くなったといっても、しょせん平面の光の点の集まりを見ていることに変わりはない。そこへいくと、ファインダーを通して見えるのはレンズを通してあくまで光を集めたものでいわば目の延長。やはり液晶画面を見続けるのとでは圧倒的に違和感、疲労感が少ない。

そんなことで、撮れた写真の歩留まり度とか効率を重視するのであれば、ミラーレスに軍配が上がるのだろうが、写真を撮る行為そのものを愉しむ、という点ではまだまだデジタル一眼レフも負けていないし、まだ進化の予知もある。

私自身は報道カメラマンでもないし、決定的瞬間を確実にモノにしなければならないプロの写真家でもないから、まだまだ売られているうちはデジタル一眼レフを最初に検討するかな。

参院選開票日に思うこと。

奈良県警も、警視庁も甘く見てたんだと思う。日本で要人が暗殺されることなんてないと。しかし、事件は起きてしまった。

この件について母親と話したが、「なぜ、周りのものは『伏せろ!』の一言すら言えなかったのか。」と憤っていて、確かにその通りだな、と思った。ただ、故人を批判するようで申し訳ないが、1発目の銃声がした後でも安倍さん自身も自身の身を守るような行動は見受けられずそのことを母親に言ったら、「安倍さん、おぼっちゃん育ちだから・・・」と言っていた。

なるほど、安倍さんの政治は一言で言えばおぼっちゃんの政治だったのかなと。トリクルダウンと言っていたが、最後の一滴は庶民の元までは落ちて来なかったと思う。その結果、格差の拡大、貧民層の固定が起こり、テロ行為が頻発するようになった。

安倍元首相銃撃事件 ひろゆき氏、凄惨な事件防ぐには“無敵の人”を減らす必要があると持論― スポニチ Sponichi Annex 芸能

結局、ひろゆきの言う”無敵の人”の刃がとうとう政府要人にまで及んでしまったんだな、と。

一度落ちこぼれた人でも、別の活躍の場が見つけられる柔軟な社会を目指さないと。ブラック企業は有名無名問わず全てつぶすぐらいの勢いで、企業を救うんじゃなくて、個人を救う社会でないと。今はまだ世界平均で言えば、平和と言える日本だが、逆に今では平和ぐらいしか褒めるところない日本が、その平和すら失いそうになっている。

読み返してみると思わず安倍さん批判みたいになってしまったが、安倍さんはやれることはやったのだと思う。モリカケ、桜の会の件で、諸悪の根源みたいにいう人が結構いたが、私にはあまりピンとこなかった。極悪人でないことは見てれば分かるじゃない。

政権を握るモノは必ず悪いことをしていると信じ込んでいて、人格から何か遠慮無く攻撃していいと思っている人がとても多い気がするが、それはそれで危うい。

なんか文章が纏まらなくて、この駄文を公開するのもなんだか、という気になってきたが、今の日本は”無敵の人”に対して、あまりに無関心で冷たい。国民自身も、諸外国に比べて、自己責任論を語る人が凄く多い。まずそういうところから改めないと、この手の事件は今後も減ることはないだろう。

世界で日本の賃金だけが上がらない真の理由

会社経営して利益も出してる私が賃上げをしない理由 : はてな匿名ダイアリー

会社経営者が匿名で記事をアップしているが、「給料が上がらない = 給料が固定費になってしまっているから」というのは、経営者の言い訳ではなく、本音のところだと思う。

時代の変化のスピードが速く、急に儲かることもあればその逆もある。しかしながら、正社員のクビは簡単に切れず、給与も下方硬直性があり、なかなか下げられない。

私は雇用の流動性は凄く大事だと思う。・・・こう書くとどこかの平蔵さんと同じ意見になってしまうが、どこの会社も簡単に正社員をクビに出来る代わりに、簡単に正社員として雇い入れられる・・・たしかにいきなりクビにされるのは辛いが、同等程度の次の仕事がすぐ見つかるだろう、という雰囲気があれば、そこまで絶望的なことではない。

むしろ、良くないのは、年を取ればとるほど純粋に転職は難しくなるし、家族が増えると更に会社を辞めづらい。転職をしても今のところより良い条件の仕事がまず見つからない、という空気が社会全体を覆っていること。これにより、社員は劣悪な労働環境に置かれても、会社を辞められないし、会社もこれ幸いと社員をこき使う。

これが仮に、この会社ブラックだし、すぐ辞めるわ、他の仕事もいっぱいあるんだし、という空気であれば、会社も社員により高い賃金を払うだろうし、労働環境にも気を配るだろう。

ただ、現在の日本社会の雇用システムはより悪い方向に向かっている。正社員は立場的には安定しているものの、固定費と見なされ賃金アップとはなりずらい。更に派遣社員はそれぞれの会社には既に正社員がいるため、極端な雇用の調整弁となっており、賃金も少なく、雇用も安定しない、という悲惨な状況になっている。

その派遣社員も労働人口における割合が増える一方で、もちろんこの人たちは消費に回せるお金も少ないし、人口増にも貢献しない。

こんなことだったら、もう日本の会社に正社員いらないじゃないかと思う。経営陣は野球の監督・コーチみたいに高給を取る代わりに結果が出なかったらクビ。一方、社員も派遣しかおらず、雇用の安定はないものの、色々な会社に勤めることが出来る。

確かに身分の安定がなくて大変な部分はあるが、正直、加速度的に変化し続ける社会において安定というのはある程度、捨てなければならないと思う。それにある程度、色々な会社を転々としたほうが、業界、その会社の変な風習に捉われずに済むし、案外自分に一番向いている仕事に出会えるかもしれない。

が、そういうドラスティックな変化は日本人は望まないだろうね・・・