【考察】デスゲームの元祖はダンガンロンパ? 名作たちから読み解く「命懸けの遊戯」の系譜

「デスゲーム作品の原点といえば?」と問われたとき、2010年発売の『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』を真っ先に挙げるゲーマーは少なくない。

強烈な「おしおき」演出、エッジの効きすぎたキャラクター造形、そしてハイスピードで言葉の弾丸を撃ち込む「学級裁判」。PSPというプラットフォームで放たれたあの衝撃は、間違いなく当時のゲームシーンを揺るがした。

だが、ゲーム史・カルチャー史を冷静に俯瞰すると、ダンガンロンパはジャンル全体の「始祖」ではない。正確には「先人たちが築いたデスゲームの文法を、超一級のスタイリッシュエンタメへ再構築したミュータント」と呼ぶべき存在だ。

映画・漫画・ゲームを横断しながら、このジャンルの進化論を解剖していく。

1. 黎明期:シチュエーションスリラーと心理戦の原型

立方体のトラップ部屋に閉じ込められる被験者たち(AI 生成)
『SAW』立方体のトラップ部屋に閉じ込められる被験者たち. 出典: Alternate Ending

デスゲームという構造の礎を築いたのは、1990年代後半〜2000年代初頭の映画や漫画群だ。

  • 『CUBE』(1997年・映画)/『ソウ(SAW)』(2004年・映画)「目覚めると見知らぬ密室」「仕掛けられた致死のトラップ」「生き残りたければ課された試練を突破しろ」。密室シチュエーションスリラーの原点であり、後の脱出ゲームやデスゲームの空間設計に決定的な影響を与えた。
  • 『賭博黙示録カイジ』(1996年〜・漫画)底辺の債務者たちが命をチップに挑む「限定ジャンケン」や「鉄骨渡り」。独自のルール設計、心理戦のブラフ、ルールの盲点を突くロジックなど、現代デスゲームの“知的部分”はカイジがほぼ完成させた。
  • 『バトル・ロワイアル』(1999年・小説/映画)「無人島に隔離されたクラスメイトが最後の一人になるまで殺し合う」というプロット。強制デスゲームのシチュエーション設定において、これ以上の教科書はない。

この時代は「社会の不条理」や「人間の生々しいエゴ」を抉り出すダークトーンが主流だった。

2. ADVゲームの胎動:『ダンガンロンパ』前夜とポップ革命

『ダンガンロンパ希望の学園と絶望の高校生』キャラクターたち 出典:10 Best Death Game Anime
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WordPressのサーバーを30分で移行した。もう「苦労した備忘録記事」でアクセスを稼ぐ時代は終わったのかもしれない。

ほったらかしの当ブログに何か書き込もうかと久々にWordPressのダッシュボードを開いたら、サイトヘルスのあれがダメだこれがダメだとアラートが出ている。見ると、PHPとMariaDBのこれらのヴァージョンが低いと出ていた。まあ、随分とほっておいたからなぁ。

そんなことで記事を書く前に一念発起し、サイトのメンテナンスをすることに。PHPのヴァージョンをWordPressの推奨基準内に収めるには、現在のcentOS7をアップデートするのが吉とのことだったので、OSの再インストールを決意。これは大仕事だぞ、と気合を入れるところだ・・・以前なら。

以前であれば、サーバー上のOSの再インストール方法を確認し、Firewallの設定、さらにWordPress一式の避難。SQLサーバーのアップデートとDBの再構築、PHPの最新ヴァージョンへのアップデート、その上WordPressの再設定、SSL証明書の再設定など事前に確認しておくべき項目は山ほどあった。

それぞれのトピックはネット上でバラバラに散らばっているし、また該当する記事に辿り着いても、自分の環境とぴったり一致ということは少ない。とんでもない試行錯誤の上、なんなら失敗するかもしれない。

けれども今はAIがある。

・・・話がここで終わってもいいぐらい、これがずばり結論なのだが、上記のあれやこれやはぜーんぶAIに聞けば一発回答。自分の環境に照らして全て教えてくれる。たまにうまくいかないときもあるが、その時は問題点を洗い出し、改善策を提示してくれる。

OSの再インストールなので、一旦データを全てローカルにダウンロードし、OS更新後にアップロードした。これに計1時間ぐらい時間を費やした。しかし、その他の作業はAIに聞きながらやって、実質30分ぐらいで作業を終えた。

滅多に使わないから一向に覚えないSQL命令文を全く書かなくていいし、confファイルも中身を書いてくれるからターミナル上で使うテキストエディタの使いかも覚えなくていい。サーバーから帰ってきたデータをそのままAIに読みこせてやりたいことを少し指示するだけ。

これできれいさっぱり、当サイトはOS、PHP、mariaDB滑ってアップデート出来た。

昔であれば、苦労してやっとわかった部分を備忘録などと称して記事にし、せこく閲覧数を稼ぐところであるが、いまやそんなこともあまり意味がない。分からないことは全てAIに聞け!以上!である。それに備忘録なんか残しても、その情報もAIに吸い上げられて、その元の備忘録を見に来る人ももういないんだろうし・・・

技術が広まった前の世界には戻れないし、現に私もその恩恵に預かっているので特に文句がある訳ではないが、それでも不安を感じる部分はある。AIに聞けば全て丁寧に説明してくれながら進めてくれるが、それでも目で追うだけでは理解できるはずもない。となると、やりたいこととその目的が繋がるのは良いが、その間のプロセスはなにせ理解しないのだから、それはすなわちブラックボックスに等しい。果たしてそれが人間にとっていいことなのか悪いことなのか・・・

それともこういう問題は産業革命のときにさんざん話つくされたトピックで、別段新しいものでも、心配するほどのものでもないのだろうか。

ちなみに新環境は下記のとおり。テキスト中心のものすごい低負荷の当サイトで特段どうなる訳でもないが、一応ね。

項目旧環境新環境
OSCentOS 7AlmaLinux 9
PHP7.4.58.3
MariaDB10.410.11

動画生成の課金あれこれ

生成AI動画を使用した私のYouTubeチャンネルだが、全く再生数が回らず(泣)、早くも完全なる趣味の範囲に終わりそう。まあ…それならそれだけど。しかしそうなると、生成AIに掛かる月々の課金代は抑えねばならない。

生成AIに頼ったMVが主な作品だが、MVを作るのに使っているのは、まず曲作成のためのSUNO、画像生成のためのMidjourney、動画生成のためのKLING。これが私が使用している主たる生成サービス。

SUNOは一番安いプランでも余るぐらい曲が作れるので、これはあまり問題ない。月$10。

ただ、MidjourneyとKLINGはおよそ2分半のMVを2本作るための素材が、それぞれBASICプランでは足りなかった。やむなくどちらもPROプランにアップグレードしたが、どちらも月約$30。円換算で約5000円。法外というほどでもないが、利益も生み出さないのに毎月これを払い続けるのは嫌かなと。

ところで、話変わるが、ついこの間Macを7年ぶりに買い替えた。それが思わずスペックを奢ってしまって、M4Pro. メモリ48GBの高性能(お金もそれなりにかかってるが…)

今まであまりに素人すぎてあまりよく分かってなかったのだが、生成画像、動画はローカル環境でも作成可能とのことで、現在ローカル環境で画像、動画を作成出来る環境を構築中。実際には画像であれば、プロンプトに忠実か、テイストは良いか、動画であれば、破綻はないか、生成時間が実用用レベルかチェックする必要があるが、作業を少しはローカル環境に移したいと思う。

だけども、Midjourneyの作成するイラストは唯一無二のもので、これだけはやめられないだろう。あとはもう少し賢くなってくれたら…動画も作れるが、KLINGと比べるとおかしな動きをするものが多く、実用性はイマイチ。画像も動画も一つのサービスでこなせれば多少は安上がりだろうが、そうは問屋が卸さない。

生成AIサービスは今のところ上記のものを使っているが、なにしろ半年ぐらいで大きくトレンドが変わってしまうこの世界。半年後は違うサービスに乗り換えてるいるかもしれない。そんな訳で年払いより多少割高にはなるが、どこも月払いを選択している。

果たして、半年後に動画生成はどの様なことになっているか。そして、わたしは何を作っているか、あるいはやめてるか…

AI時代によせて

ども・・・ブログ久々すぎて、前回丁寧語で書いていたか、普通体で書いていたか、分からないほどだ。

さて、久々に筆を取ったのはAIについて書きたくなったから。いやぁ、凄い、AIの進化は。chatGPTに始まった生成AIブーム。つい先日そのchatGPTの生みの親であるオープンAIがSoraという動画生成SNS?を発表し、SNSではあらゆるフェイク動画が投稿されまくっている。

静止画のフェイクはまだ理解出来る(仕組みは決して理解していないが)しかし、動画が生成されるとはこれいかに。そして・・・ここからが今日の本題だが、今Suno.AIという音楽生成AIが熱い。

Sunoは実は数年前に触ったことがあり、その時も画期的だとは思ったのだが、『なんとなくそれっぽい』から何段も下の『まあ機械が自動でこしらえる音楽なんて所詮こんなもんだよね』というレベルの音楽しか生成されず、そのまま興味を失って今日に至っていた。

しかし、どこで読んだか忘れたがそのSunoがバージョンアップで大きく性能アップしたというので久々に試してみたら、これが凄い!

指定したジャンルを全く違和感なく表現するのは当たり前。いまでは『なんなら、これうまく宣伝すればヒットもあるかも?』というレベルの曲を生み出すようになっていたのだ。

音楽というは非常に繊細なもので、楽曲上の違和感というのは非常に目立つ。和音の間違い、リズムの間違い、使っている楽器の違和感、発声の違和感。しかしSunoの新しいバージョンはそれらを全てクリアした上で、更にちょっとしたヒットを予感させるような曲まで生成する。一体どうなっているのだ??

動画の生成も充分驚くが、音楽なんていうのは機械が最も真似することが出来ない芸術の最後の砦のようなものだと思っていた。なにせ音楽を作り出す人間自体がどうやったら素晴らしいメロディが紡ぎ出せるかを科学的に検証出来ていない。そんなあやふやな芸術を機械がどうやってモノにするというのか・・・

そんなカルチャーショックを受けつつ、それではSunoの作った音楽はそのままに何かうまく宣伝すれば小ヒットぐらいになるのでは?と思って、思いついたのがミュージック・ビデオ作り。

どうせなら、ということで、ミュージック・ビデオ内の動画もAIに生成してもらい、ちょっとフックのあるビデオを作れれば、人に曲がリーチするのではないかと、早速制作に取り組み、現在2曲をYouTubeに公開中。

それとこっちは全くオマケなのだが、Sunoに既存曲のメロディを読み込ませ、それを大胆にアレンジさせ、それをYouTubeに公開するということもやっている。

まあ、これには少し問題があることは私も分かっていて、現在この手のAIを使用したリアレンジ動画が雨後の竹の子のように増えて来て、今はまだ面白がられているが、そのうちヘイトを集め、最後には問題になってくると思う。

悲しい話、MV作りには大量の動画素材が必要で、その動画を生成AIに作ってもらうにはまあまあな課金が必要。既存曲アレンジものはそれらがYouTubeでたくさん再生され、それらがせめて課金分でもカバーしてくれたら・・・と思いやっている次第。今のところ、収益化にはほど遠いが、一応再生数も登録者数も増えてはいる。褒められた活動ではないのは分かってはいるけどね。

まだまだ話つづき・・・

そのSunoであるが、使っていてつくづく思うのが、『完成した曲をほんの少しでも手直し出来たらなぁ』ということ。ポンだしでいいものを作ってくれのは素晴らしいことだが、3分の曲なら曲で、最初から最後まで全く文句がない、ということはない。きちんと歌詞を読み込んでくれない、という通常のエラーから、『ここの和音、ちょっと気にいらない』『もう少しAメロとサビの強弱差をつけたい』『ここのギターソロは別のスケールで展開してほしい』など音楽的な注文までいろいろ出てくる。

だけども、現状それらのちょっとした手直しはほとんど出来ない。

そこでというか間違いなくニーズとしてあるのは、生成AIが作った音楽をいかに細かく手直し出来る様になるか、ということ。これからのDAWとかもそちらの機能がメインになっていくと思われる。

『Aメロは出来た、サビがない』『ここでストリングスを入れたいが、ストリングスのスコアの書き方がまったくわからない』『こんなふうにしたいというのはあるが、実際どの楽器類を用意し、どのように演奏させるかの知識がない』

ユーザーのレベルによって問題レベルは色々あろうが、手元にある素材、あるいは AIが作成した素材をAIとコール・アンド・レスポンスして、細かく作り上げられる。生成AIが最初から最後まで一曲仕上げられるのは充分証明されたが、これからはこういった機能が必要になると思う。

そんなもの、全くの邪道だ。という人はいるかもしれない。

しかし、音楽は好きだ。演奏も作曲もチャレンジしようとしたことはあるが、あまり難しすぎて辞めた、という人は多数いるはず。その時にイメージ・ベースでAIがその人のレベルに合わせて作曲・編曲を手伝ってくれることのなんと素晴らしいことか。

そんなことが可能になれば、これまで一生懸命、演奏に、作曲、編曲を学び、技術を磨いて来た人はどうなるのだ、という話もあるかもしれない。

まあでも人間、最後は便利な方に流れるからね。電気が発明される前の時代、農耕生活が始まる前の時代をいくら懐かしがっても時代がさかのぼることはない。機械が音楽を作ってしまうのはびっくりだが、そうなった以上、共存するしかないし、楽しむしかない。

そして今はAIを「楽しむ」時代だと思っている。

上岡龍太郎の死を悼む。

上岡龍太郎が亡くなった。公式に発表されてから、数日経つがいまだ上岡の死を悼む関係者のコメントを引用した記事が絶えない。最近、死亡記事が出てから、何日も記事になりつづける、いろんな人がその人の死を悼む、そんな人いたかな、と。しかも当人が芸能界を引退してから悠に20年は経っているというのに。

博覧強記で教養がありながらも、本人が憧れるのはあくまで芸人道。従って、どんなに真面目な論説をぶっても、最後にオチをつけるなど、芸人としての矜持を失うことは決してなかった。

教養人は世にたくさんいるが、あくまで芸人の視点で、人をおちょくったり小馬鹿にしながらも、市井の人間の心持ちを忘れず、常に笑いに昇華して、世の真理を常に一歩引いて客観視できる人のいかに少ないことか。

そういう意味では、上岡龍太郎という存在は現在に真に失われたものの一つであると感じる。

上岡龍太郎の話の後にこんな話を書くと若干気が滅入るのだが、最近、「無名より悪名」よろしく、礼節、礼儀、常識を一歳飛び越えて、耳目さえ集めれば良い、といったような芸人崩れ、文化人崩れのようなのが多すぎませんか?

ひとつはYouTubeみたいな、道徳的にはともかくViewさえ集められれば、お金が儲かる、という集金システムが幅を利かせていることにも原因があると思う。

そりゃ、金は欲しい。それこそ喉から手が出るほど(笑)

しかし、文化はどこへいった?道徳は?

私は拝金主義というのは、中国みたいな一度文化、文明がぶった斬られたような地域にのみ起こると思い、継続した文化のある日本はそこまで落ちたりはしないだろうと思っていたが、昨今の日本を見ているとどうやらそうでもないらしい。

しかし拝金主義なんてみっともない。文化、教養がない人間が唯一信じられるのが金だけで、そんなレベルの低いものですよ。だけども、そんな一段下のレベルに日本全体が落ちようとしている。

そんな時だからこそ、文化を理解し、また笑いを通じて民衆を理解する上岡龍太郎みたいな人の声がまた聞きたいんでしょうねぇ。

昔、パペポで上岡が「自分の葬式は、自分の死体をくり抜いて、目や口を動かすようにし、自分自身でいらっしゃいませ、と出迎える」と言っていたが、あれは嘘だったんですね(笑)

NHK BS 犬神家の一族を見て

https://www.nhk.jp/p/ts/L3331VWV67/

NHK BSで放送された犬神家の一族を見終えた。

演出はオーソドックスで奇をてらうものではなく、一貫して落ち着いたトーンで良かった。横溝正史得意の”見立て殺人”のシーンなどは映像的には最もおいしいシーンともいえるが、そこだけ特別クローズアップされることなく割と淡々と編集されており、それはそれで異様さが浮き彫りになって良かったと思う。優れた前作があるなかで、違和感なく見られるというのは、実際には相当の経験と技術がないと出来ないことなのではないかと。

出演者について(サッカー風に採点付き。10点満点)

金田一耕助役の吉岡秀隆 – 7点
金田一が吉岡秀隆であることに文句はないが、キョドるシーンはどの他の映像見ても一緒だなと(笑)
優しさと人の良さが金田一の特長だからそこは合っているが、一応金田一も戦地帰りの人間だから、吉岡の現代っ子っぽさは少しマッチしないと思った。ただ主役の格という意味では存在感はちゃんとあったと思う。

松子役の大竹しのぶ – 7点
こんなキツイ女の人、世代問わず意外といるよなーと思いながら見てた(笑) そつなくこなしたという印象だったが、これだけの重たい役(主役級の役所といい、過去の名優と比べられるという重圧といい)をこなせるのは、あまり他に思い浮かばないかなと。

竹子役の南果歩 – 6点
息子を殺害されて、叫び狂うという難しい役所だったが、正直もうちょっと頑張れ、と思ってしまった。下手っていう訳ではないが・・・

梅子役の堀内敬子 -6.5点
今回のドラマで初めて見た。良くも悪くも舞台女優っぽいな、と。

古館恭三役の皆川猿時 – 8.5点
なにげにこの人が一番良かった。物語のキーとなる犬神佐兵衛の遺言状を管理しているのもこの人だし、金田一の隣で推理を常に聞かされるのもこの人だからかなり重要な役。それを昭和の喜劇俳優よろしく、少しおかしみがありながらも、しっかりとドラマに重みを与えていた。

その他若手俳優 – 7点
キリがないので、ひとまとめにしてしまうが、珠世や佐清はじめ3姉妹の息子達、みんな個性があり、また演技もうまかったと思う。

その他ベテラン俳優 – 5.5点
どういうんだろ。白髪頭ではあるが、総じて顔が幼いというか、アクがないというか。昭和の俳優達とはここの層が一番違うな、と正直感じてしまった。

エンディングについて

最後に新解釈というか、賛否の残るシーンを放り込んで来た。名作たる本作にたかだか一介の(と敢えて言わせてもらうが)脚本家がそこまで自分の色を出してしまっていいのか、という思いもありつつ、まあでも、リメイクするならこれぐらいのことしないといまわざわざリメイクする意味ないよね、と納得する部分もあり・・・

まあそれはともかくとして、連続殺人、醜い遺産争いの裏に、求めても決して得られなかった夫からの愛情、親からの愛情、それらが憎しみとなって我が身に帰ってくる悲劇というのにきちんとフォーカスがあっていて、全体的によい脚本だったと思う。

本作について(※ネタバレあり)

娯楽探偵小説なのだが、一族の業みたいのが深すぎて、そら殺人事件も起こるわな、と妙に納得させられてしまう。犬神佐兵衛で言えば、恩人の神主と衆道の契り・・・つまり男色の関係になってしまい、さらに女性に対して不能の神主の妻と関係を持ち、女児を授かる・・・という業の深さ。

しかしこの戦後すぐというのは、物語の舞台としてはかなり魅力的で、現在では到底容認されない地方の名士、成り上がり達の横暴が許され、また戦前からの土着的な民俗風習が色濃く残っていたりして、そこから深い深い因縁が発生する。

そこをうまくテーマとして作品に取り込んだ横溝正史は改めて偉大な作家であったなと。

余談

松子、竹子、梅子っ姉妹でもないのに(姉妹でもたいがいだが(^^))、名前凄いなと。最初の女性以外誰も愛さなかった佐兵衛がふざけてそれぞれと関係持ったのかなと邪推さえしてしまう。

斧(ヨキ)琴菊が犬神家の家宝で、それになぞらえて見立て殺人が行われるが、最後の佐清(すけきよ)だけ、死体の周りに斧がなかったが、原作では湖に下半身だけ浮き出た佐清を読みを逆にすると「ヨキケス」、しかも下半身しか湖の上部に露出してないからそれをもって「ヨキ」となると金田一が説明していて、ロジックは凄いが、そんな馬鹿な!と流石に思ってしまった。大体金田一には一族への復讐と分からせるための見立て殺人がよく行われるが、個人的には一族への復讐=見立て殺人という思考経路がよく分からない(^^)

まあでも、名作って、それは流石になくないか?というツッコミどころも意外とあって、そんなところですら、読者、視聴者を楽しませてくれるんだから、本当に凄い。