コロナ禍

年末年始はコロナにやられている。

昨年末、とうとうコロナに罹患した。昨年の11月中旬、転職ではないが、職場と仕事内容ががらっと変わり、割と緊張を強いられる時期が続いた。そして新しい環境に移って3週間ほど経った週の金曜日・・・お昼過ぎから寒気と熱が上がっている感触を得る。最初は、新しい仕事のおおまかなルーティーンと人間関係を理解したことで、それまで緊張感で麻痺していた疲労がどっと出て、ついに風邪をひいてしまったのだと思った。

帰宅して早速熱を測ると38度。今週末で治るかなぁと思いつつ、翌朝土曜日再び検温すると39.4度。もしかしてコロナかも?と思いつつ、抗原検査は陰性を示していたので、とりあえず安静にしていることにした。そして日曜日、熱は38度台に下がったものの、高熱状態は続き、そしてとうとう抗原検査で陽性反応が出た。

万事休す。

カミさんが慌てて、私の布団類などを私の狭い部屋に押し込んで、自宅内隔離生活が始まった。一番発熱のひどかった2日間連続で横で寝ていたのに、今更隔離する?とちょっと思ってしまったが、まだカミさん自身罹患してない可能性もあるし、とりあえずおとなしく隔離指示に従った。私は陽性者本人、カミさんは濃厚接触者でともに次の平日からの出勤は出来ず。カミさんに関しては、結局コロナには罹らなかったようで、やはり隔離していたのは正解で、そこはとりあえず良かった。

そして私であるが、会社にとりあえず1週間休む旨、連絡を入れた。これでとりあえず来週までに治せばいいや、とかなり気が楽になったのだが、そこから38度台が3〜4日続き、ようやく38度台を脱するも、37.0〜37.8度の間を熱が行ったり来たりの日が続き、一向に平熱まで下がる様子がない。結局次の土日でも熱が下がらなかったので、会社に更に1週間休む旨連絡を入れた。会社を2週間連続休むなんて初めての経験かも。

結局、私の場合、37度台の日が結局まるまる一週間ぐらい続き、それが辛く、不安だった。たとえばインフルエンザとかでも一度熱が下がり始めるとそこから熱が治るのは割と早いので、そこが他の発熱を伴う病気と大きな違いだと感じた。おまけに自宅内隔離で狭い自室から結局2週間も出れず、それも相当なストレスだった。

そんなこんなで、結局年末の最終週のみ出社することが出来、正月は無事に過ごしたのだが、なんと一昨日の成人の日、今度はカミさんが発熱してしまった。昨日PCR検査を受けてきたものの、検査結果が分かるのが本日なので、とりあえず再び今度は私が濃厚接触者扱いとして会社に休暇の申し入れをした。

これまでコロナが流行り出してから3年余り、夫婦揃って1度も罹患しなかったのだが、ここに来て急にコロナに襲われることとなった。新しい職場も結局、これまで全出勤予定日の半分ぐらいしか行ってない。ちなみにワクチン接種は私が3回、カミさんが4回。カミさんの発熱のマックスはいまのところ37.8度らしいが、発熱温度の差は、接種回数の差なのだろうか? というか、ワクチン接種の意味とは・・・? 本来なら重症化するところを接種のお陰で発熱のみで済みました、ぐらいの効果があるのなら、それでもいいが・・・まあ、カミさんはまだコロナの確定診断は得ていないが。

カミさんは結局私ほどの発熱はなくそこまでしんどくはないようだが、コロナの症状も千差万別、私自身も熱は高かったものの、体感自体は風邪の症状と全く見分けがつかなかったので、診断が下るまでは本当になんとも言えない。数日経って急に悪くなる可能性もあるし。

そんなこんなで、コロナは実際に罹ってもしんどい。更に濃厚接触者になっても会社に出れないなど、色々面倒で、本当にいいことない。

かと言って、自宅待機などを全面解除したところで、発熱する人は結局仕事は出来ないし、こんなことが世界中であとどれだけ続くんだろうか・・・と、若干気の重い年末年始なのであった。

ジャズギター、始めました。

老後の楽しみに、と現在一生懸命ジャズ・ギターの練習をしている。

と言っても、まだ入り口の入り口の入り口。目標はセッション・デビューなんだけど。なんかお金払ってジャズのアドリブをそれぞれが順番で取るようなセッションがあるらしいのだが、そこで度胸試しが出来るようになるまで、が当面の目標かな。

なんで20年も放っておいたギターをまた再開する気になったかというと、DTM(Desk Top Music)がきっかけ。それだけ聞くとなぜ?という話だが、去年だかに急にDTMやる気になって、まあ、イチからちゃんとやろう、と、いきなりオリジナル曲、などという無謀なことはせず、まず既存の曲をコピーし、ソフトの使い方の習熟、またアレンジ、ミックスの勉強をしようと何曲かカバー曲を作ったわけ。

で、作る度にアレンジ、ミックスの精度も上がり、これは良いな、では次に取り組むこの曲のカバーがちゃんとできたら、オリジナル曲も取り掛かろうかな、と思った曲が、それほど目立たなくはあるが、カッティングのギターがばっちり入ってる曲で。このカッティングギターばかりはいくらDTMの音源が進化したと言えど、簡単にはPC上では再現出来なかった。

ま、それならギターはあるのだし、自分で弾けばいいかな、と思ったが、何しろギターのハイポジションのコードが分からない(笑) 6弦、5弦のルート音がなんとなく分かる程度で、指板の音程など全く知らない。・・・あれ?俺、こんなレベルでギター投げ出したんだっけ?とちょっと愕然とした。

長年、ギター持ってるのに、例えばギターの指板のことだけをとってもどこが何の音かとか全く把握できてなくて、なんとなくギターに対して申し訳ない気持ちがあったので、ここで一念発起、ギターの指板を全部覚えよう! これを機にちっとはギター弾けるようになろう!と決意したわけ。

だが、ギターの指板を把握するつもりでギター練習すると、それはそれで非常に時間がかかり、そんなことで現在DTMは予想通り、活動停止している。(どっかのタイミングで再開したいけど。)

で、行きついた先がジャズギター。ちなみにジャズの知識ほぼゼロ(^^)

そんな私がなぜジャズギターか?というと、指板の音階、そしてルートに対する度数をきちんと把握しながら、練習するには何がいいんだろう?とネットの記事やYouTubeを漁っていたら、ジャズ初心者の練習で、ひたすら曲のコードトーンをなぞる、という練習があって。ジャズなので基本4和音。ルート、3rd、5th、7thの4つの音をひたすら見つけてそれを弾くのだが、これがなかなか・・・

主要なコードだけでもルートCなら、CM7、C7、Cm7、Cm7♭5、Cdim7とこれぐらいあり、これをもちろんCルートだけではなく、いろんなルート音で弾けるようにならなければならない。それも毎回ルートから弾くのでは音楽にならないので、3rdから弾く、5thから、7thから・・・とまあ、これがかなり大変なんだわな。

多分、10代、20代の頃の私であれば速攻止めてるが、そこは半世紀近く生きた男の大人力(笑) 我慢することの先に喜びがあることを知っている今の自分なら我慢して練習することが出来る。いやあ、歳取るのも悪いことばかりじゃない。(基本悪いことの方が多いが)

ということで話長くなったが、今はとにかく色んなジャズスタンダードのコード進行を見つけては、チロチロとひたすらコードトーンを追う練習をする毎日。コードトーンしか弾かないのだからコード感はあるが、やたらと素人くさい演奏。いや、演奏とも言えない。誰に聞かせてもいかにも練習曲らしい練習曲を練習してるとしか聞こえないだろう。それでも、譜面に書かれた模範となる音符以外に指板上に音を見つけ、ちょっとでも脱線出来たらうれしい。

これこそアドリブの第一歩である。ルートに対して何度の音を弾いてるか分かるから、現在地が把握できているし、次に進む場所もわかる。非常に小さな一歩だが、私にとっては大きな一歩。なにせこれまでは、譜面に書いてある音以外にはみ出すことなど全く出来なかったのだから。

まだ書くことあるな(笑) このひたすらコードトーンを追う練習は、アドリブの基礎固めとして非常に有用であるのは日々実感しているのだが、また、ジャズスタンダードのコード進行がいい。ブルースや一部のフォークのように単純すぎず、かと言って一部のポップスのようにひねくれ過ぎてもいない。

ジャズというと、やたらとコードにテンションが乗りまくって、コード進行も音楽の中でも一番難解、と思われがちだが、基本のコード進行はそうでもない。その気になれば、色々テンションもくっつけれるというだけで、基本的には、2-5-1の繰り返し、曲内で部分転調と言える箇所もあるが、大体4度上に移調するのが多く、弾いてみれば分かるが、それほど転調感もない。(もちろん例外あるよ、ジャイアント・ステップとかああいうの)

そんな訳で、単調過ぎず、かといって難しすぎずで、練習するにはちょうどいいコード進行の曲がいっぱいある。

だから、ジャズスタンダードをひたすらコードトーンで追う練習というのは、なにもジャズギタリストを目指す人だけじゃなく、ブルース、ロック、フュージョン・・・全てのギタリストにとってとても有用な練習だと思う。コードトーンが完璧なら、スケールはこのコードトーンを足掛かりに何音か足すだけだから、いきなりスケール練習するよりはるかに理解が早い。

例えばリディアン・スケールを練習するとして、実際に1曲丸々リディアンで構成されてる曲なんてそうない訳で、そうすると現実にありもしないリディアンばかりの繰り返しを練習しても、リディアンスケールはそれで覚えれても、実際の曲中でのリディアンの使いどころが分からないままだと思うんだよね。

それよりはともかくコードトーンを覚えて、そこから、ここはリディアン、ここはドリアン、ここはロクリアンなどと派生させて一気に覚えていった方が、実際の音楽にそった形でそれぞれのスケールが覚えられると思う。

・・・ここまで読み切った人がいたら教えてくださいね(笑) なんかえらそうに書いたが、どこのポジションから、どの音程からでもコードトーンを繰り出せるようになるにはまだまだ時間が掛かりそう。もちろん、スケールを元にしたフレーズのストックも全然これから。先はまだ長いが、楽しみながら続けたいと思う。

きょうはなんとなく口語調で書いてみたが、なんか70年代、80年代のライナーノーツみたいなノリになるな。

デジイチと心中するか、ミラーレスへ移行するか。

一眼レフの時代は終わったのか? 今になってミラーレス一眼に主力がシフトする理由(ITmedia NEWS) – Yahoo!ニュース

デジタル一眼レフからミラーレスへ

00年代だったと思うが、当時乗ってたスクーターの情報を得ようと個人サイトなどを見ていたら、びっくりするぐらい写真が綺麗なサイトがあった。なんでこんなに写真綺麗なんだ?と思って、その人のサイトの別のページを見たら、その方は別に写真の趣味を持っておられ、当時のデジタル一眼のカメラ、レンズの論評などもされていた。

まだiPhoneが世に出ていない時代。

コンパクトカメラもまだまだ売れていた頃だったが、APS-Cサイズの撮像素子を持ったデジタル一眼レフで撮られた画像の諧調の豊かさは、他のデジタル写真機とは完全に一線を画しており、そこから私が自分でもデジタル一眼レフを手にするのも、そう時間は掛からなかった。

それから、撮像素子の画素数がどんどん増え、満を持してフルサイズの撮像素子の登場。デジイチの市場もどんどん大きくなり、一つの大きな市場が出来た。

しかし、コニカミノルタのカメラ事業を継承したソニーが参入してから、様子が変わってきた。ソニーは一貫してミラーレス推し。老舗のキヤノンもニコンも、それでも上記リンク記事で指摘されていたようなミラーレスならではの弱点をよく分かっていたため、ミラーレス化に舵を切る判断が遅れ、結果、デジタルカメラ部門では後発であるソニーに大きくシェアを奪われる事態となった。まさに教科書に出てくるような「イノベーションのジレンマ」案件である。

確かに、初期のミラーレスはカメラとしての基本性能が劣っていた。見づらくタイムラグもあるEVF、遅いAF、電子シャッターならではローリングシャッター現象。つまりファインダーは見づらく、オートフォーカスも遅く、おまけに動体を撮影したら像が歪んでしまうという、およそプロが使える道具ではなかった。

ただ上記の欠点のいずれも、技術革新によっていつかは克服可能な課題であることは明白であったし、欠点を克服すれば逆に、場所を取り構造も複雑なミラー、シャッター機能は省くことが出来、スペースの制約が少なくなり、レンズの設計も自由度が増すという一眼レフ構造では決して真似が出来ないメリットがあった。

つまり、いつかはミラーレスがデジタル一眼レフを追い抜かす運命だったのである。

むしろ、今にして思えばデジタル一眼レフの構造自体が、アナログなフィルムカメラとデジタルのハイブリッドで、アナログから完全なデジタルに生まれ変わるまでの繋ぎのような、いわばキメラのようなモノであった気がする。

それでもデジタル一眼レフカメラが好きだが・・・

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8月15日に思うこと。

8月15日。終戦の日。

改めて、沖縄戦などの被害者の声など、色々な報道番組を目にする。

戦争は悲惨だ。言うまでもない。

情報が統制されてはいるが、ウクライナの戦争を見ていても十分に悲惨さが伝わってくる。

だけど、いつも思う。戦争反対、だけでいいのか?と。

戦争の出来る国にするな、との声を良く聞く。

この声を聞くと、なぜ日本が戦略する前提なのだろう?なぜ日本に非がある前提なのだろう?と疑問を頂かざるを得ない。

ロシア、中国、北朝鮮。これらの国より日本の方が危険だというのか。あまりにおかしい。

自国を守る時、戦力の増強を検討するのは当然である。いくらこちらが平和を説いても、周りが武力を背景に物事に挑む国しかないのだから、それに不満を言っても現実的でない。ましては、その現実に目をつぶって、日本の武力増強を批難するなど、あまりに不誠実な態度と思う。

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根性論で少子化が防げるか?

「家族・地域の絆再生」政務官会議PT中間とりまとめ – 首相官邸

ツイッターで少し話題になっていたので、上記ページを読んでみた。

が・・・・・

今日の深刻な少子化の原因の一つとして、過度に経済的な豊かさを求め、個人を優先する風潮があると考えられる。家庭生活よりも職業生活を優先させ、個人が自らの自由や気楽さを望むあまり、生命を継承していくことの大切さへの意識が希薄化し、「結婚しない」あるいは「結婚しても子どもを持たない」方が、経済的、時間的な制約に縛られることがより少ないという考え方を背景に、非婚化、晩婚化、少子化が進んでいるという側面は無視し得ないと考えられる。

「家族・地域の絆再生」政務官会議PT中間とりまとめ

この辺で読むのが嫌になってきた。

私の認識では、特段凄く贅沢しようとも思わないし、子供は欲しいが、大学まで卒業させるのに掛かる費用を考えると、家族みんなが立ち行かなくなる、だから子供はあきらめよう。という人達が大半だと思う。

「過度に経済的な豊かさを求め」
ー今の日本で過度な経済的豊かさを求めてる人がどれだけいるか?

「家庭生活よりも職業生活を優先させ」
ー好きでそんなことしてると思う?

「個人が自らの自由や気楽さを望むあまり、生命を継承していくことの大切さへの意識が希薄化し」
ー上にも書いたがそこまでみんなお気楽じゃない。子供の将来はもちろん、自分の老後の資金さえ心配な人がほとんどで、子供に不憫な思いをさせるぐらいなら・・・と子供を諦めてる夫婦がほとんどじゃなかろうか?

なんていうか全体を通して、経済が右肩上がり、歳取れば取るほど給料も上がる、もちろん年金もばっちり貰える、こんな世代の人が中心となって考えた絵空事のようにしか思えない。

単純に言えば、今もお金がないし、将来もっとお金に困りそうだと思ってるから、子供を作らないだけで、それはいわば、この失われた20年だから30年だか知らないが、経済政策の失敗のひとつの側面に過ぎない。

それをマインドを変えれば、子供も作れる、みたいな根性論にすり替えられても、実際強制力がないのだから、表立って批判されずとも、出生率の更なる低下という厳しい回答が待っているだけだと思う。

一眼レフカメラのXデー。しかし・・・

ニコン 一眼レフカメラ開発を停止 – Yahoo!ニュース

とうとうXデーが来たかという感じ。

そもそもフィルムからデジタルに変わったときに、一眼レフである必要も失われたと思う。フィルムは現像するまで画が見れないから、ペンタプリズムを使って肉眼で映る範囲を確認する必要があったが、デジタルは、撮像素子で捉えたものをほぼリアルタイムで背面液晶に映すことも出来たのだから、最初から背面液晶を見て撮影することも可能だった。

ただ、デジカメ初期は撮像素子の解像度の低さ、液晶の質などの問題もあり、撮影する画を確認するにはこれまでの技術の蓄積があった一眼レフに一日の長があった。

しかしながら、上記の問題も技術の進歩と共に解消され、逆に一眼レフならでは問題が顕著になってきた。例えば、ミラー構造が邪魔して、連写速度がミラーレスに追いつかなくなってきた。またペンタプリズムを搭載する構造上、本体の小型化に限界があり、またフランジバック(レンズマウント面から撮像素子までの距離)もミラーレスより長くとらなければならず、レンズ設計の上でも足かせとなるようになってきた。また、コンパクトカメラ、スマホカメラの普及によって、画面を見ながら撮影することにユーザーが違和感を抱かなくなっているのも、一眼レフのシェアが大きく下がる原因となっているだろう。

ま、そんなこんなで風前の灯火となってデジタル一眼レフであるが、それでも現在のフィルムカメラか、それ以上の数のユーザーがデジタル一眼レフを使い続けると思う。

その一つの要因として考えられるのは、デジタル一眼レフの良さの一つは機械のカタマリであること。メカというのはやはり大きい。例えばシャッターを切ったときのミラーが跳ね上がる音と手ごたえ。

そして、ペンタプリズムを介してファインダーを覗くというのは、生理的に理にかなっていると思う。いくら液晶が良くなったといっても、しょせん平面の光の点の集まりを見ていることに変わりはない。そこへいくと、ファインダーを通して見えるのはレンズを通してあくまで光を集めたものでいわば目の延長。やはり液晶画面を見続けるのとでは圧倒的に違和感、疲労感が少ない。

そんなことで、撮れた写真の歩留まり度とか効率を重視するのであれば、ミラーレスに軍配が上がるのだろうが、写真を撮る行為そのものを愉しむ、という点ではまだまだデジタル一眼レフも負けていないし、まだ進化の予知もある。

私自身は報道カメラマンでもないし、決定的瞬間を確実にモノにしなければならないプロの写真家でもないから、まだまだ売られているうちはデジタル一眼レフを最初に検討するかな。