始めは、なんぞその著しく社会主義的なシステムは、と思って、あまり真面目に記事を読んだり、話を聞いたりするつもりはなかったんだけど、下記のインタビューを読んで考えが変わった。(注:相当に長いインタビューなのでサクッとこの記事を読みたい方は、その下の二つのリンク先記事だけを読んで頂いても構いません。)
談話室沢辺 ゲスト:飯田泰之 実践派エコノミストが提案するベーシック・インカム | ポット出版
月に5万円の支給なら労働意欲を削がれることもないよね。
ほかにも
ベーシックインカムの話|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba
とか。
仕事をしなければいけない、という古い常識に囚われ、月20万払うのに30万コストが掛かっている様な仕事がいっぱいあるのではないか、という指摘は興味深い。
あとは、評論家・山崎元氏のこの記事。
ベーシックインカム7つの長所 – 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
生活保護は人によっては恥ずかしい。今、無縁社会とか話題になっているが、現代においては『金の切れ目が縁の切れ目』を通り越して、『金の切れ目が命の切れ目』になっているのかもしれない。生活保護で救われるべき人が救われていない。
しかし、ベーシック・インカムはみんなもらえるもの。人間は比較して生きていく生き物なので、他人と同じなら何も恥ずかしいことがない。セーフティネットとしては、こちらの方が有効なのかもしれない。
再び、堀江氏の記事から引用。
農業革命で人々は飢えることからある程度開放された。
産業革命で人々は労働時間からある程度開放され、余暇の時間を持つことができるようになった。
実は、多くの人はもう働かなくてもよくなった状態にあるのかもしれない。
働く必要がなくなったかどうかはよくワカラナイが、それでも現在の産業の主戦場が、情報産業に移っていることは間違いがなく、この産業は、日々の食事、日々必要な生活物資に困ってないことが前提にないと成り立たない訳だから、極論すれば、余暇に近い産業なのかもしれない。
が、いずれにせよ、お金がないと暮らしていけない、というのは資本主義に生きる我々にとっては共通する課題。文明の進歩により、飢餓から開放され、そして長時間労働から開放されたはずなのに、貧困の為、再び長時間労働を余儀なくされ、揚げ句の果てには飢餓にまで至る。これでは全く意味がないではないか。
どれだけお金のない人にも余暇を!
一部の人達だけが、文明の恩恵に預るのでは意味がないのではなかろうか? 資本主義はどう転んだって、一部の勝者と多数の敗者に分かれる。そうしたら、どうしても市場に介入して、社会主義的な補正をかけるしかない。ベーシック・インカムという考え方は、資本主義とさほど対立することなく、しかも社会主義の悪い影響もそれほど受けない、非常に現実的な手段だと思う。
ベーシック・インカム制度の導入によって、現在より労働時間が少なくなれば、余った時間は寝て過ごす人ばっかりか、と言えば、そんなことは恐らくなくて、地域のイベントに参加したり、勉強して新しい知識を得たり、と新しい出会いを求めたり、自己啓発的活動に目覚めたりして、そういった人々の活動が、地域の活性化、あるいは新しい情報産業の起点になる可能性だってある。
とにかく、雇用を創出するための公共事業とか、なんだか社会からの落後者の烙印を押された様な生活保護システムが、本当に理にかなったシステムなのかどうかを客観的な視点でもう一度見直し、ベーシック・インカムという比較的新しい概念を色物として見ず、きちんと検証・検討してみるべきなのではなかろうか。