ベッキーとか矢口真里とか。

 
下世話な話題だがベッキーの話。え?もう復活?とか思うわな、正直言って。一方、ゲスの川谷が活動続けていることに批難の声もあって、イギリスでは男尊女卑だとか報道されてたらしいが、まあゲスはアーティストだからな。アーティストだからと言って不倫が許されるわけではないが、ゲスが作る音楽が素晴らしい、と思う人が一定数いれば続けられるわね。前もどっかで書いたと思うけど、太宰治とかだって文学の才能なかったらただの人殺しだからね。そういう意味ではアーティストはあくまで作品のみで評価される側面がある、という強みがある。一方のベッキーはそれほど自己の能力で売ってた訳じゃない。きつい言い方をすれば、快活なイメージが崩れた瞬間に売りがなくなってしまうぐらいの才能しかなかったとも言える。両者の扱いの差と言えば、そこに尽きると思う。

前に、カップヌードルで、たけしを先頭に、佐村河内の件で有名になった新垣さんとか矢口真里が出てるCMが中止になったことがあった。その時、いい加減矢口を許してやれ、という声も多数あったが、オレは最初にあのCMで矢口真里を見た時、正直イヤな気分になった。オレ自身は別に矢口真理に迷惑かけられた訳でもないし、どうでもいいと言えばどうでもいいのだが、自身の不倫を売りにしてまでCM出るのはちょっと違うと思った。それでも凄く面白ければそれはそれで許しちゃうのだが、別に面白くもなかったしなぁ。矢口真里がテレビの仕事をするのはもちろん自由だけど、暗に自分の不倫まで売りにして、またそれが受け入れる世間だったらちょっとイヤだな、と思ったから、世間からの風当たりが強くてオレは逆に安心した。そんな世間を見て、狭量だ、とか、息苦しい、とかいう意見も決して分からんではないが、そこまでやっちゃう人に対する嫌悪感を持ち得るぐらいのなんというか・・・エチケットみたいなものは、世間の空気感として最低限あってほしいとは思う。・・・考え方が古いですかね?

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