舛添都知事辞任に思うこと。

 
舛添都知事をギロチンにかけよと熱狂する民衆 – 小林よしのり|BLOGOS

小林よしのり氏の言う通りだと思う。職場の隣のおっちゃんらも「ありゃ、単なるいじめだよなぁ。」と言ってた。少なからず、そう思ってる市民もいるわけだ。ただ、記事中にもある通り、舛添さん、ちょっと気の毒なんじゃないの?なんて公の場で言おうもんなら、袋叩きに遭いかねない雰囲気である。

舛添さんは、初期対応を間違ったんだと思う。あれが全てだった。おごりのある態度だったし、市民、国民を軽く見ている態度でもあった。自民党の甘利氏や民進党の山尾氏みたいに逃げきれる、ほとぼり冷めたらみんな忘れる、ぐらいに思ったんだろうね。だけども、この手の不祥事の対応は、ネットの炎上と一緒で、初期消火の対応が非常に大事。そこで舛添氏は最悪の対応をしてしまった。

結果、疑惑の追及に及び腰だった都議会、その中でも更に気が進んでいなかったと思われる自民党、公明党の連中も、舛添氏の辞任を要求しないとは何事だ!という空気に押されて、とうとう不信任案提出に同意。舛添氏、ここで投了。

しかし、なんかこういうのって、まさに「衆愚」というのにふさわしいと思う。こういうのを見ると日本にもまだ全体主義的な狂気が十分に残ってるな、と感じる。舛添氏が都知事として適当だったかどうかは取り敢えずおいといて・・・特に深い考えもなく、あっという間にひとつの意見に染まって、異論を差し挟むのも許されない様な空気にすぐなっちゃう、というのは、ちょっと怖いんじゃないか、ということを個々人が心に留めておく必要があると思う。こういう集団心理って、新聞の論調や大本営発表を信じて戦争に突き進む戦前の日本や、第一次大戦で莫大な賠償金を抱え、全てはユダヤ人のせいだと喧伝したヒトラーに心酔した当時のドイツ国民と似たようなところがあるではないかと。今回の舛添氏の辞任騒動を見て思った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です