あけましておめでとうございます。2018年もこの馬鹿ラッチ2.1をよろしくお願いします。
さて、ここからいつも通りの文体に改め・・・新年の抱負、と言いたいところだが、特にない。いや、健康な体になりたい、という大きな目標はなくはないが、ここにあまり固執しすぎても結局は失望するだけなので(特に若い頃は健康に拘りすぎた分、大きな失望を味わうことにもなった)、今ある最低限の健康を損なわない様に努力し、また維持できるよう祈るしかない。
しかし、年々、年老いていく両親を見るに連れ、両親が大した病気もせず元気でいてくれることのありがたさを実感する。年末年始は妻の実家で過ごしたが、妻のお母さんが健康でいてくれるのもありがたい。(妻のお父さんは残念ながら数年前に他界された。) だが、やはり介護などの問題が突然降りかかってくることは意識せざるを得ないし、その時、体力のない私が一体どんな貢献が出来るだろう?と不安になる。
・・・正月から暗いことを書いても仕方が無い。私自身のことに話を移せば、特に私自身が望まず、また動かない限りは特に人間関係や仕事関係での変化というのは少なさそうだ。となると、大きな変化があるとすれば、例えば突然異動を命じられるとか、自分が知らないところで外部の意向が大きく私自身に影響するなど、外的要因を主とすることだろうか。とにかく今のところ、大きな変化を自分が望んでいるということもないし、する予定もない。
こう書くとひどくつまらない人生を送っていると思われるかもしれないが・・・まあ変化が乏しいことに関して不満に思うときもないではないが・・・平々凡々と生きることの良さを、なんだかんだ不平を言いながらも噛みしめている、というのがこの数年の偽らざる心境と言ってもいいかもしれない。
それと・・・新年の抱負というテーマから少し離れるが、自分でも少し意外な気がするのだが、少なくとも日本で生きてる限りは社会は案外平等だ、という気がしている。もちろん、正社員と非正規社員の賃金格差とか、社会に不平等が蔓延っているのは多少は理解しているが、それでも、周りを見回してみると、正しいタイミングで、正しく行動した人はちゃんと権利を得ていると思うし、私の人生にも何回かステップアップする為のチャンスがあったが、私は尻込みしてしまってそのチャンスをものにすることが出来なかった。結果、今ちょっぴり貧乏な生活を余儀なくされている訳だが、それを社会のせいとは思わない。どんな国や立場に生まれようと、本当に人生を変えられるチャンスというのは、そう何度も訪れるものでもなく、そのチャンスに正面からトライしなかった人には、やはりそれなりの人生しか待っていないのだ、ということはひしひしと感じる。私にはチャンスを逃した人間のせめてもの矜持として、自分の不遇をあまり社会のせいばかりにすまい、という気持ちがある。まあ、現状に不満があるなら自分から動くしかない。自分が動かなければ世界は絶対変わらない、ということは確信を持って言える。
・・・一体何の話をしているんだか(笑) そうそう、このブログで言えば、いつも実現出来てないが、もっと記事を書かないと、と思う。常に書いてないと書く筋力、みたいなものがどんどん失われて、すぐに焦点のぼやけた集中力が感じられない文章になってしまうし、なにより、文章を綴ることはセルフヒーリングに他ならない。漠たる思いを文章という形に具現化することによって本当に自分が思っていること、やりたいことをあぶり出すことも出来る(ときもある)。そういうことを今この駄文を書きながら、なんとなく思い出して来た。書くことを自分の義務にしてしまうと、また嫌になってずっと書かなくなってしまうので、まあボチボチ書く楽しみを思い出しながら、書き出す一歩目の敷居を低くするようにして・・・まあ、新年1発目の記事はそんなところかな。