ディア・ハンター。

毎週末、なんらかの映画を観るのが、最近の習慣になっているが、先週末は「ディア・ハンター」を観た。本当は映画も本も2度観たり、読んだりするのは好きじゃないんだけど、最近は前に観た映画をもう一度見直すことが多くて、「ディア・ハンター」も過去に一度観た事のある映画だ。

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前回「ディア・ハンター」を観たときは、前半部分がえらい退屈で、どえらい展開になる後半を際立たせる為にわざと退屈に作ってあるんじゃないか、なんて、勘ぐったりもしていたのだが、今回、改めて観ると、前半部分も、結婚式を通じて、主人公たちの細かい人間関係、小さい田舎町の独特の雰囲気、結婚式の披露宴に見られる古くからの文化、など、十分に見所があった。そして、あの目を背けたくても、背けずにいられない後半、ベトナムのシーン。デ・ニーロは全編通して安定した演技を見せ、映画に重みを持たせているが、やはりなんと言っても、この映画は、クリストファー・ウォーケン。赤い鉢巻をして登場してから最後の「One shot・・・」のセリフまでのシーンだけで、充分アカデミー賞ノミネートに値する。

ちなみに、一緒に観た彼女が、鹿狩りをする山岳のシーンが天界で、主人公たちが住む田舎町が地上、そしてベトナムが地獄、みたいなことを言っていて、僕はそんな風に寓話的には捕らえてなかったので、非常に面白い見方だな、と思った。

ここからはネタバレ、になるのかどうか分からないけど、クリストファー・ウォーケン扮するニックの気持ちは分からなくもない。ニックは見るに耐えない現実を目の当たりにして、それ以来現実に目を向けることが出来ず、生きている実感をもてなくなったのであろう。そして、いつしか銃を自分の額にあて、引き金を引く瞬間だけしか、生きている実感を得られなくなったのだと思う。

若干、こじつけっぽいかもしれないが、最近の無差別殺人犯にも多少そのようなところがあるのではないだろうか。生きている実感、そういったものがなくなったとき、自分の血を見るか、他人の血を見るか、でしか、人間は生きている実感を得られなくなってしまうのかもしれない。ただ、最近の無差別殺人犯は、別にベトナムで過酷な現実を見たわけでもない。一見、平和に見える世の中で、徐々に追い詰められ、彼らなりの狂気に陥ったのだから、社会のせいばかりには出来ない、といっても、そういった狂気を一定数生み出してしまう社会、というのは、やはり一度、総点検しなけらばならないのではなかろうか。

・・・別に社会批判をするつもりは全くなかったんだけど、なんとなくそういう結論になってしまった(笑) ま、それはともかく、この映画を観れば、なぜ一度戦争に行った人間が再び今までいた社会に適合しにくくなるのか、が嫌でも分かる。とても長いがとてもいい映画なので、まだ観てない人は是非。

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