フランシス・フォード・コッポラといえば、言わずもがなの「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」の監督だけど、最近は何やってるのか知らない、って人も多いのではないだろうか。まあ、代わりに娘のソフィア・コッポラが監督として売れているようだが・・・。ソフィア・コッポラと言えば「ゴッドファーザー Part III」ではマイケルの娘役で出ててなんだか不評を買っていたことを思い出す。確かウィノナ・ライダーにオファーを出してが断られて、それでソフィアにお鉢が回ってきたとかそんな話だったと思うが。ソフィアは「ゴッドファーザー」でも洗礼を受けるマイケルの生まれたばかりの長男役(?)として赤ん坊の時の姿をスクリーンにさらしている。
ま、それはともかく、父親のフランシス。最近、レンタルで纏めて近年の作品である「テトロ」と「ヴァージニア」を観た。結論から言うとどちらも非常に良かった。およそ「ハリウッド的なもの」とはかけ離れているが、演出のそこかしこに工夫と熟練の技が垣間見えるし、CGなどの技術も意外と積極的に使っている。そしてなにより一枚一枚の画が美しい。作品のスケールとかストーリーのメリハリをとかを考えるとこぢんまり感は否めないが、まあそういうのは若い時にさんざんやっただろうし、今は本当に撮りたい映画を撮ってるんだな、そしてコンスタントにそれを続けているんだな、と感じて、ちょっとうれしい気持ちになった。以下では、それぞれの作品について少し感想を述べたいと思う。
「テトロ」。
親子や兄弟の愛憎を描いた、まあ言うなれば「ゴッドファーザー」の時からずっと持ち続けていたテーマを思いっきり主題においた作品であるが、美しい作品だよねぇ。冒頭とラストの、行き交うクルマのヘッドライトをアウトフォーカスで撮り、六角形の模様が画面を飛び交う様なシーンが、冒頭では上質な映画の始まりを予感させ、ラストでは敢えて冒頭と同じ演出にハッとさせられると共に、ある意味平和的に終わるラストにふさわしいエンディングとしてじんわり胸にしみるものがある。(どうでもいいことではあるが、映画用のレンズって六角形絞りなんだな、とかちょっと思った。まあ円形絞りとかもあるのかもしれないけど。)
テトロの父親は偉大な音楽家だが、異常に支配欲の強い男で、テトロを初めとした親族はその父の数々の行為から不幸に境遇に追いやられる。このコッポラの”父親越え”というテーマは自身の原体験が元になっているのか、そうでもないのか・・・。いずれにせよ、フランシスの父親が作曲家で指揮者であった点が映画と共通するところに興味がそそられる。
父親が邪悪、ということで言えば、「地獄の黙示録」のウィラードとカーツ大佐の様な関係かもしれない。もっともウィラードとカーツは親子ではないが、「地獄の黙示録」にも明確に”父親越え”というテーマがあったと思う。しかしながら「テトロ」では、ウィラードがカーツをなぶり殺す様なシーンもないし、最後は普遍的な愛を示した形で終わる。こうして思い出しながら書いていても、改めて良い映画だな、と思う。
「ヴァージニア」。
ゴシック・ホラー? ちょっと間が抜けてて、なかなか怖くて、というコッポラにしてはポップな感じの作品。主人公は三流ホラー作家。ビデオチャットでの、生活苦から夫の大事な物を売ろうとする妻との会話や、出版社に本の執筆代金の前借りを頼むところのやりとりがおかしい(コッポラがビデオチャットのシーンを撮る、というのが、ちょっと面白いし、さらには、よくよく考えると普通は電話で済ますよなぁ、と考えると、さらにわざとらしくて面白い)。その一方、過去に惨殺事件があったという廃ホテルに近づく主人公が、やがて過去と現代の時空を超え(映画では主人公がモーテルで寝てる間に見ている夢とわざと境界をぼやかして描かれている)、美しくも悲しい事件の目撃者となるシーンが圧倒的に美しい映像で描かれている。そんなわけで、まあ、観た後に何かを考えさせられる、といった類いの映画ではないが、コミカルさ、幻想、恐怖、そういったものが、テンポ良く描かれていて、非常に好感の持てる映画だった。
ところでAmazonやヤフーの映画評を見ると、コッポラも終わったとか結構そういう意見が多いのだが、一体何を見てるんだか、と思うよねぇ。この歳にして、敢えて腰の軽い、スタイリッシュな映画を撮りきったコッポラは逆に見事だと思う。みんなコッポラにはもっと重厚な作品を求めるのかなぁ。
そんなわけで、コッポラ健在、というのが確認出来て、良かった良かったというお話。コッポラ監督、まだもう何本かは映画撮ってくれるよね?