たけしの「バカ論」の書評から、改めてお笑いについて考えてみた。

【読書感想】バカ論(fujipon)

たけしが出した新書の書評。昔だったらワニブックスで表紙に本人のリアル目の似顔絵が書いてある表紙になるんだろうな、とふと思った(^^)

それはともかく、最近、たけしがさんまを褒めるってのが、あちこちで記事になっているから、ああ、たけしも焼きが回ったというか丸くなったというか複雑な気持ちでいた。というのも、昔さんまのまんまでたけしがゲストで出ていたとき、さんまがたけしに向かって
「それにしても全然わたしのこと褒めてくれませんねぇ。」
と振った時たけしが
「そらぁ、古女房みたいなもんだから、褒めたら気持ち悪いだろ? おれが褒める時はもう死ぬときだから。」
みたいな話をしていたから。

だけれども、リンク先の記事の引用ではさんまのことを「教養なき天才」と評していた。これを見て、やはりたけしはよく人を見てるな、感性は老いてないなと思った。さんまのことをこれ以上的確に表現した言葉は他にないと思う。

明石家さんまのことは好きだし、彼の人生哲学も好きだ。さんまも歳を取ったのか、あれだけテレビで真面目ぶって語ることを嫌うさんまが、NETFLIXのCMでは珍しく彼の人生哲学を語っているので、機会があれば見て欲しい。どのCMも彼の人生経験に則した深い教訓がある。だけれども、やはりたけしが指摘する様にさんまには教養がない。残念ながら。まあ教養を排した笑いという解釈も出来るが、どうしてもリアクションの中での笑いに留まっている。歴史でも文学でも数学でも物理でもなんでもいいが、それぞれの世界に無限の面白さ、興味深さが詰まっていているが、さんまはそこへは絶対に踏み込んでいかない。故にたけしなら偉大な数学者、宇宙飛行士、医者などと対談してもある程度深いレベルで話せるが、さんまはあくまで相手のリアクションの意外さを引き出せるだけ。だから結局、さんまが話せる相手はお笑い芸人か素人か、ということになる。まあ、敢えてそこにこだわっているのかもしれないし、例えば中村玉緒の面白さを引き出せるのはさんましかいないからそれはそれでいいんだとも思うが。

教養なき天才、というキーワードではもう一人、松本人志の名前が頭に浮かぶ。松本人志も天才だと思うが、やはり教養はないなぁ。日常生活の悲喜こもごもをコントで表現させたり、絶妙な例えで客観視して笑わせたりするのは天才的なんだが。松本人志が映画でコケたのはその辺かなぁ、とは思う。コントではその場のシチュエーションだけで十分だが、映画となるとやはり哲学がいる。確固たる哲学を得るには幅広い教養が必要だと思うが、残念ながら松ちゃんの興味はワイドショー見てるおばちゃんとそれほど大差ないかぁ、と思ってしまう。だからワイドナショーの司会止まりなのかなぁ、と。厳しいことを言わせてもらえば。まあそれでも、この人の20代、30代は神がかってたけどね。落語もある意味教養を排した笑いだから松ちゃんが落語に深く共感するのもわかる気はする。

最近、教養のあるところを隠さなくなってきて逆に面白くなってきたのがタモリだろうか。ブラタモリは、最初は単なるお散歩番組のひとつだったが、タモリの地質学への造形の深さを活かして、今では散歩をしながらそれぞれの土地の地質学的な成り立ちを紹介する学問的なバラエティ番組へと昇華した。昔BIG3とかいって、たけし、タモリ、さんまが番組で一緒になっていたが、正直その時はタモリが一番面白くなかった。たけし、さんまの機関銃のような即興的なトーク力はタモリにはない。それでも、最終的には教養の下地を活かしたマニアックなトーク力を活かせるタモリに最適な番組を複数持つに至り、今でも衰えを感じさせない。

今の若手を見てるとやはりダウンタウンの影響が大きすぎたのか、教養を武器にした芸人っていないな。まあ今のテレビってひたすら表層的なリアクションのみ求められて、教養あっても披露する場がないってのもあるんだろうが。まああれだな、教養を武器にしたというか、そもそもダウンタウン以降の笑いの流れ自体を変えてしまうほどの芸人って出てきてないな。テレビというメディア自体がもうそれほどホットではない、ということと関係してるんだろうか? あまりの面白さ故、多少の逸脱行為も許せてしまうほどの生意気で抜群に面白い若い人を見たいなぁ。

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