会社で一人、体調不良を訴え、ずっと出社してない人がいる。その人は昔から出社出来たり、出来なかったりを繰り返していたが、最近はより体調が悪化したのか、ほとんど会社に来られていない。
このことに対し、不満を堂々と口外する人もいる。
まあ不満を口外する人の気持ちは分かる。自分の仕事の負担は増えるし、どれだけ給料の差があるか知らないが、あまり変わらない様なサラリーだとしたら不公平感も高いだろう。
しかし・・・昔、体調を崩して、長らく失業していた経験がある私からすると、その休んでる人の立場もなんとなく分かる。
具合が悪い人には悪い人なりの限界がある。一般の社会人が例えば毎日8〜10時間ぐらいの労働を期待されたとしたら、およそ6時間ぐらいの睡眠で、仕事や日常生活の労力を含め、ある程度の疲労が翌朝には回復しているぐらいの体力がなければならない。
しかし病気がちの人はそこまでの体力はない。8〜10時間寝て、4時間ぐらい労働したらもう疲労困憊の人など、パターンはいろいろあろうが、その人の体力の限度を超えて働くと、発熱にはじまり諸症状が出て、会社を休まなくならざるを得ない。
しかし会社はそのような体調の人に合わせた勤務形態は用意していない。故に長らくの休業で体力的に落ちているにも関わらず、いざ出社すれば、普通の社会人として最低8時間の労働をこなさなければならない。
このことが出社に対するハードルをいかに高くしているか。徐々に仕事量を増やせば体も慣れるところを、復帰後いきなり全力投球を求められるものだから、早速体を壊して、即休職となる。
だけども・・・会社というのは先に上げた毎日朝決まった時間に起きることが出来、さらに毎日8〜10時間の労働に耐えられるだけの健康状態を持った人達の集団なので、その範疇に収まらない健康状態の人の事が顧みられることはない。
周りに自分と同程度の健康状態の人しかいないから、そうした病気がちの人はやる気がないだの、怠けてるだと思われ、やがて退職を余儀なくされる。
残念ながらどの企業も同じようなものだろう。まだ即クビにならないだけ、優しい会社と取ることも出来る。
企業が利潤を追求する集団である以上、さらなる効率化が求められ、各社員の会社に対する貢献度がより細かく査定し、会社の利益に寄与しない人材は遠慮無くクビを切られるだろう。
その様な時にいわゆる一般的なフルタイム労働に耐えられない人々はどうすればいいのだろうか。病気がちの人も受け入れてくれる寛容な会社もあるだろうが、企業としてない袖は振れないのだから、賃金もそれなりのものに落ち着くだろう。
そういった人は慢性的な貧困状態に陥り、声も上げることができず静かに貧困の縁をさまよう。
利潤を追求することは決して悪いことではない。
お金があれば、自力では絶対に作れない商品やサービスを全くの見ず知らずの他人からいきなり提供を受ける事が出来る。
確かにご近所づきあいがなくなって、いざという時に頼る人がいないというのは問題ではあるが、ご近所の人に助けてもらうまでになるには、ご近所づきあいを繰り返し、信用を得なければならない。毎日の挨拶からはじまり、自治会への参加などなど・・・
これらのご近所づきあいはフルタイムの労働者にとっては、はっきりとコストに見合わない活動になってきている。それよりフルタイム労働で稼いだお金で、いきなり赤の他人から必要なモノやサービスの提供を受ける方がてっとり早いし、気も楽だ。
そんな時代だからこそ、フルタイム労働者としての労働を提供出来ない病気がちな人は、ご近所からの支援もなく、ますます苦しい立場へと追いやられる。
企業には色んな条件、バックグラウンドを持った人をもっと積極的に雇って欲しい。
だけども、そんな希望もむなしく、今後はより分業化か進み、さらに各企業の人材の専門性も高まり、より色んな人が混じり合わない社会になると思う。
格差と分断。
先進国ではこれまであまり問題視されてこなかったことが、やがて利潤を追求する企業の活動も脅かす大きな問題になると思う。
科学技術の進歩が新たな富を生み出すし、更に人々の生活レベルを引き上げるだろうが、科学技術の進歩に負けないぐらいに、倫理学、哲学が発展しないとまるで速度超過でカーブを曲がりきれなくなったクルマのように、かつて無い大きな事故に人類は巻き込まれるだろう、と思う。
・・・何も考えずにつらつらと書いていたら、なんだか壮大な結論に達してしまった(笑)
社会的弱者はこれからネットワークに接続されたデジタルテクノロジーの発展に伴い、ますます増える。
就職面接あるいは入試、他にもなにかの契約を結ぶとき、今まで企業や団体で個別だった「審査」が信用スコアやAIの躍進によって統一される。「どこかで落とされた」が「どこでも落とされる」に変わる。そしてその「落とされた実績」も残り続け、延々と負のループが連鎖する。
そしてこれから、新しいジャンルの弱者も生まれる。
「情報端末による弱者」の誕生。ここまで世の中に溢れたスマートフォンやパソコンなどの情報端末も、テクノロジーの革新に牽引されどんどん新しいものが出て、古いものはサポートの終了を迎える。自身の所持する情報端末を更新できなくなったとき、その者は弱者となる。
けれども現代のデジタルテクノロジーはとても脆い。ネットワークに依存してるから。そしてネットワークも所詮はプログラム。人が作った幻影。今までの産業とは訳が違う。利潤を追う企業も往々にして依存している。
ネットワークが破壊されるとき=この記事の「大きな事故」だと思う。
それがもうすぐ現実になる。
世の中が、幻影が作り出したテクノロジーの虚構から目を覚ますのは無理だろう。もう完全に中毒状態だ。
だからこそ、ネットワークから切り離されたテクノロジーやコミュニティの形成、育成が急務だと思う。それにはやはり、より色んな人が必要で、その人たちが混じり合うことがその世界を発展させていく上で不可欠だと思う。そして、この営みが、現代の定義での社会的弱者を減らすことへも繋がっていくんじゃないかと思う。