またまた更新せず・・・。まあ写真ブログはそれなりに更新してるから、あんまりサボってる感じはないんだけど、やっぱり日常的に文章を書く訓練だけは怠ってはいかんなぁ、と思う今日この頃、皆さん、イカが好きですか?
・・・やれやれ(笑) そんなことはともかく。昨日、村上春樹の新作「1Q84」上下巻を(正式にはBOOK1とBOOK2かな?)を読了した。
この記事を書くにあたり、アマゾンのレビューを見てみたのだが、あんまり最高傑作という意見はない。そこについては僕も同感かな。かなり厳しい見方だけど、村上春樹ならもう一歩突っ込めるだろう、もう一皮剥けられるだろう、と期待したのだが、そこまでは達してない感じ。ここまで来ると長編に関しては、これ以上のブレイクスルーは望めないのだろうか、とも思ってしまう。
まず最初はあら探しから(笑) ストーリーが2人の主人公のエピソードについて交互に描かれる、というのは、もはや定番ともいえるスタイルだし、音楽、料理、文学、暴力、そして性描写とこの辺もお馴染みのスタイル。途中で「牛河」という人物が出てくるが、この邪悪なるものの使い、みたいな設定の醜い見た目の人物も、村上春樹の至る物語で登場する。まあ、そんな訳で、読者から、良くも悪くも村上春樹だ、と言われても全くもってしょうがないところではある。
前回の長編「海辺のカフカ」はかなり前向きなトーンで、そこに村上春樹のひとつの変化を見出したものだったが、ところが今回の作品は、再びちょっと重い。ほろ苦い。前向きに終わるというのは「カフカ」と同じなのだが、そこには「カフカ」にはない、前向きになるあたっての悲壮感ただよう、やるせない感じのリセットがある。う〜ん、大作であるが故に、読了後のこの感じを短い文章で表す国語的能力を僕は持ち合わせてないが、この希望と絶望がミックスされながらも、ギリギリ前を向いて生きていける、という感覚は村上春樹ならではの表現で、僕としては、村上春樹がこういった翳りのある希望を提示してくれたことが素直にうれしかった。
・・・ここからは少しネタバレかもしれない。僕が一番感心したのは、もしかすると青豆の章は、実はすべて天吾が考えた小説の一部かもしれない、と読者に想像させるところ。ところが、最終的には天吾自身も1Q84年に迷い込んでしまい、現実の世界と仮定の世界の境界線が極めて曖昧になってしまう。しかし、それ故、ますます青豆と天吾の愛の強さだけが、唯一確かなものとして強調されていく。色々興味深い伏線や登場人物が出て来て、中にはその後どうなったんだ?という説明が全くないところもあるが、結局のところ、これは青豆と天吾の完璧な愛の姿を探る純粋なラブストーリーであるからして、その他の枝葉末節がどうなろうと、僕はあまり気にならない。もちろん、伏線を広げるだけ広げてそれを全く回収出来てない物語は実に未完のものだと思うが、この「1Q84」に関しては、天吾と青豆の愛の確かささえ確認出来れば、それで良いのだと思う。
例えば、エヴァンゲリオンとか、話を広げるだけ広げといて、結局話を纏めきれていない、という作品が最近多すぎて、その中途半端さが逆に、見る側が、全ての伏線が回収され、スッキリと全ての謎が解けて終わる、という作品を望む、という風潮が、現在の視聴者、読者には多少なりとも見受けられると思うのだが、少なくとも「1Q84」に関しては、肝となるストーリーはきっちり終了している。それでいながら、そこにわずかな希望と絶望の余韻を絶妙にまぶしてある。同じことを言葉を変えて何度も書いて申し訳ないが、とにかく物語の核はきちんと描き切られている。だから、この本にはこれ以上続きはないと思うし、またこれで十分だと思う。
僕はクラシックやジャズには全く疎いので、いつもの様に、その辺りへの言及についてはあんまりピンと来なかったのであるが、今回の作品は特にチェーホフについての言及がかなりあり、数冊ではあるけれど、彼の本を読み、感銘を受けた身としては素直にうれしかった。小説の中でも言及されてるが、19世紀末の混乱したロシアで作家が生きていくのはとても大変なことだったと思う。しかし、それ故、本当の人間、家族、社会について書くことが出来た面もあると思う。村上春樹がチェーホフを越えられるか? そして最後にドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を越える作品を書くことが出来るか? 時代的に言っても、村上春樹の作家としての限界を考えても、それは難しいかもしれない。少なくとも「1Q84」を読んだ限りでは、そう考えざるを得なかった。ただ少なくとも・・・僕は全くといっていいほど現代小説を読まないので、全く偉そうなことを言えた立場ではないが・・・村上春樹にはそのチャレンジ権がある様な気がする。「1Q84」は面白かった。本当に。久々に読後の甘酸っぱい余韻に浸れた。ただ、もう一皮剥けて欲しい。村上春樹からスーパー村上春樹に変身してほしい(笑) そして、「カラマーゾフの兄弟」の様な信じられない様な熱量を伴った感動を与えて欲しい。天吾が青豆に与えた絶対的な愛レベルのものを。それが適えば、僕はそれ以降、全く小説を読まなくても生きていけるかもしれない。