村上春樹著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んでる途中経過。

そんなもん、読んでからにせぇよ、と思われるかもしれないが、なんだか全部読んだところで感想を書かない様な気がするので今書いておく。私は自分自身の評価によっぽど自信がないのか、ついついアマゾンの評価を見てしまうのだが、今回の『多崎つくる』はやけに辛い評価が多い。私としてはそこまでひどいかね?と訝ってしまうが、まあ昔のドラクエ並の騒ぎになってたからね。私が思うには、期待値と作品の質に誤謬があったような気がする。誤謬? こういう使い方であってるのかな、この言葉。言葉を換えれば、果たして批判をしているのが、首を長くして待っていたファンかどうかは知らないが、発売を目前にして50時間は遊ぶつもりのRPGのつもりで買ったら、5時間であっさり終わってしまうテキストアドベンチャーゲームだった、みたいな齟齬があったとでも言うべきか。
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小説の存在意義。

Tumblrを眺めてたら、こんな記事があった。

“昔、筒井康隆の作品に影響をうけて、高校生がおじいちゃんを殺したという事件がありました。本人が「筒井作品に影響をうけて」と、はっきり言っちゃったんですよ。
あの時の筒井康隆は偉かったよね。
「文学とはそういうものだ」ってはっきりと言い切ったんです。
文学というのは人の心を立派にするようなものではなくて、人の心を下品にしたり、殺人者を生んだりする毒である。毒であるからこそ素晴らしいのだ。この世の中にはない「毒」がつくれるからこその文学である。
だから俺は「俺の作品で人殺しが出た」ということを誇りにはしないが、隠そうとも思わない。”


岡田斗司夫『遺言』

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芸術と時間。

マイミクさんが「携帯電話でもこれだけ高性能の動画撮影機能が付いていれば、そのうち静止画の必要性がなくなるんじゃないだろうか。」という主旨のmixiの日記に残していて、それについて、コメントを残しておいたのだが、そこで多少考えることがあったので、ここで再び論を展開してみようと思う。

結論を言えば、やはり、静止画(写真)と動画は全く別物である、と考えざるを得ない。でも、これは感覚的に多くの人が思ってることなんじゃないかと思うけど。

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キンドルで読む人間失格。

太宰治も、まさか60年後に自分の本が電子ブックで読まれるとは思ってなかったであろう。しかししかし「青空キンドル」のおかげで、再び日本文学が熱い。・・・まあこれには日本語でまともに読める書物が今のところ、青空文庫にある様な、著作権の切れた古い作品しかないから、という理由もあるのだけれど。

ともかく私のキンドル読了本、記念すべき第一作目は太宰治の「人間失格」だった。私、この歳(36歳!)にして太宰作品に触れるのは初めて。三鷹に住んでいた時は、しょっちゅう太宰が入水心中した玉川上水の辺りを通って井の頭公園に行ったりなどしていたんだけどね。

さて、ババーンと私の拙い書評など。

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1Q84。

またまた更新せず・・・。まあ写真ブログはそれなりに更新してるから、あんまりサボってる感じはないんだけど、やっぱり日常的に文章を書く訓練だけは怠ってはいかんなぁ、と思う今日この頃、皆さん、イカが好きですか?

・・・やれやれ(笑) そんなことはともかく。昨日、村上春樹の新作「1Q84」上下巻を(正式にはBOOK1とBOOK2かな?)を読了した。

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