なんなんだろうねぇ、生きてく上で一番大切なことって。唐突だが、私、この度、三十ウン年過ごしてきた親元を離れ、彼女と同居することを決意した。早い人なら十代で既に実家を出るであろう。ところが私の場合、居心地の良さにかまけて、二十歳代でも実家に居続け、三十歳代になって病気になってしまったこともあって、とうとう三十歳代後半まで、一度も家を出ることなく過ごしてきたのである。
一応、現在は社会復帰はしているけど、今でも相当に疲れやすい。体感的に人の倍は疲れやすいんじゃないかと思う。だから、掃除、選択、食事の用意、となんでも自分でこなさなければならないことにとても恐怖を覚える。もちろんその辺は彼女がフォローしてくれる・・・はず(笑) まあでも、こう書くと冷淡な表現になるが、彼女とて元を辿れば赤の他人。私は別に家族の中で王様の様に振る舞ってきた訳ではないが、それでも家族に対してはほとんど気遣いらしい気遣いを払ってこなかった。しかし彼女相手にはそうはいかない。あまり気負う必要もないのかもしれないが、日々の生活に疲れ、慣れない他人との生活に疲れ(他人、なんて言い方してゴメン! 一応便宜上の表現)、そうやって相当に疲弊してしまうのではないか?と新しい環境への期待よりも、どうしても不安の方が先に立ってしまう。これが悪い癖なのはよく分かっている。だけど、これは体力に自信がない者のある種自己防衛的な考え方でもあるのだ。
始めてみれば案外簡単なことなのかもしれない。しかしこれは耐えられないぞ、と思ったら結構大変なことになる。私の中には体調を崩して、寝たきりになってしまった三十歳の最初の頃の不安が常にある。あの時みたいになってしまうのではないか。あの時は、両親が面倒を見てくれた。私が自室で寝たきりになっているとき、食卓から両親の笑い声が聞こえてきて、オレのこと心配じゃないのか!と思いつつも、大いに安心したのを覚えている。楽観的な両親で救われた。二人で暮らした時にはどうだろうか? 辛い場面でも明るく振る舞えるだろうか? そしてその行為は、とても大切なことなのだ。
まあ、とにかく。私の両親が私が死ぬまで私の世話をしてくれる訳ではない。むしろ、世間では私ぐらいの歳になると両親の介護をしているような人もいるであろう。今まで気が遠くなるぐらいのんびりしてきたことを実感している。そして病気をして以降、そしてその間両親に厚く守られていることを感じて以降、逆に両親の庇護のない私の人生後半は相当ハードなものになるだろう、との予測がたった。にもかかわらず。あんまり自分の将来について真剣に向き合ってこなかった。それはとても怖いことだった。自分の将来と真剣に向き合わない、というのは楽観的な両親の悪い面を大いに引き継いだと思う。ただ、先にも書いた通り、あまり真剣に将来について考えない、心配しすぎない、というのも意外とその考え方が救いになる場合もある。私は強くなるつもりではいるが、そこはかとなく漂う、まあ、なんとかなるんじゃないの精神だけは失いたくない。真面目すぎるのはキツイ。恐らく本当にキツくなってきたときに、ぷつっといってしまう可能性がある。今までの私は例えるなら伸び切ったゴムの様であったが、これからは締まることも出来るゴムになりたい(笑) ただしあくまでゴム。なんとかゴムの様な強いしなやかさを手に入れたい。