流され往きて、しゅらしゅしゅしゅー。

昨日は奥多摩でキャンプ、そして奥多摩で一夜を過ごした後、そのまま奥多摩から「コミケ80」の行われる東京ビックサイトまで一直線。普段の私の不健康さを知っている人からすれば、まさに刮目すべきバイタリティ。しかしその裏には、いつもながらの”ボーノさんの優柔不断さ”が隠されているのであった。

旅の詳細は、全てを省略するとして(笑)、ちょっと考えた自分の事。普段であれば、前日仕事、休日一日目奥多摩、二日目ビックサイトのコミケに午後1時に集合、そして翌日も普通に仕事、となれば、一日目の奥多摩は終電で切り上げるのが、いつもの私。しかし「この月の角度だともう終電はない」とかなんとか、終電ネタで盛り上がってる時に、「まさかほんとに帰ったりしないよね?」と言われて、帰れなくなるのが、私らしいところ。空気を読まずに「いや、本当に帰ります。」と帰るのが、断る力、というか、ある意味大人の判断。帰ってしばらくは、文句のひとつも言われるかもしれないが、1時間もしないうちに話題にも上っていないし、誰にも恨まれていないのは分かりきっていることである。

けれど。最近は、普段のオレならしないないなぁ、ということを誰かに勧められた時、あまり断らない様に心がけている。健康状態に自信のない私は、ついここまでやると体に障る、と、自分で限界を手前に設定してしまう。なので、他人の提案をきっかけに、少しずつ無理して、少しずつ限界を無くしていこう、と思っている。私は精神力のみで体力が増進する、というマッチョな思想は全く持ち合わせていない。しかし、体の不調を敏感に感じ、物事に対してより慎重になる、という心と体の負の連鎖が、ますます自分を精神、肉体ともに駄目にしていくことは実感している。だから、たまに無理しないと駄目なのだ。

もうひとつ。前向きな精神や健全な肉体とは別に、向き不向きの問題。誰かに、こうしなよ、と言われたとき、それはもしかしたら、自分に向いていることなのかもしれない、と思うようにしている。例え、それを言われた瞬間、自分の中で、それはオレらしくないなぁ、向いてないなぁ、と思ったとしても。萩本欽一がかつて『ほぼ日』のインタビューで、「乗り気のしない仕事の中にこそ、運がある。」みたいなことを言ってた。それは、他人から見て、こいつにこれをやらせると面白いんじゃないか、向いてるんじゃないか、ということと、自分自身で、自分はこれをしたい、これが向いている、と思い込んでいることとの、齟齬のことを言っているんじゃないか、と考える。実は他人の方が、実に公正な観点から私自身の向き不向きをさらりと言い当ててくれている、ということは十分考え得ることである。

ま、そんなことで、元来意志薄弱、優柔不断な私は、それを是として、敢えて流されてみましょー、と。面倒だなぁ、無理っぽいなぁ、と思うところに発見あり、進歩あり、と。それが今回、少し無理な日程をこなしてみて、思ったこと。テントの片付け全くしなかったり、とか、コミケでは、疲労で黙りこくってたり、とかちょっと迷惑は掛けたけど。まあ、それは気にしない、ということで。

そんな訳で、これからますます時の流れに身を任せる決心をしたボーノさんであった。

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