今日、きっと世界中で似たようなブログ記事がいっぱい書かれているであろうが、やっぱりジョブズが亡くなった夜にちゃんと書いておきたい。まあ、自分のために。
私が最初に買ったコンピューターはMac・・・ではなく、NECのバリュースターだった。23万ぐらい出したのかな。確か私が大学2年ぐらいの時だったと思う。その昔『ゲームセンターあらし』を書いた漫画家のすがやみつるが『こんにちわマイコン』という本を書いていて、少年時代にその本を読んだ私は衝撃を受け、以来ずーっと”マイコン”が欲しいと思っていた。そして、バイトで貯めたお金でやっと買った”マイコン”。当時は既にパソコンと呼ばれていたかもしれないが・・・そこからパソコン通信にはまって。当時はダイヤルアップしかなかったので、通信している時間でお金が取られる。しかし『テレホーダイ』という契約をしていると深夜11時から朝6時・・・だったかな? とにかく深夜の時間は定額でつなぎ放題だったので、その時間を狙って、パソコン通信を開始し、朝までチャットに時間を費やしたものだった。
そこから多少の紆余曲折あって、私は某量販店の店員に。私がその量販店の店員だったときに初代のボンダイブルーのiMacが発売され、それはもう飛ぶように売れた。ブラウン管のどでかいiMacをたくさん積んだトラックから店員総出で積み卸しするのが、朝の恒例行事の様になっていた。そして、私の勤務するフロアーにも1台のiMacが置かれた。iMacにはドライブにディスクを取り出すボタンがなく、先輩社員にディスクをゴミ箱にドラッグするとトレイが開くことを教えられたことを今でもよく覚えている。
やがて、暇な時間帯にはiMacの前に立つようになり、iMacにインストールされてたタッチタイプのソフト『北斗の拳』で同僚の店員とスコアを競った。今、タッチタイプが出来るのは、まさにこの時の経験のおかげ。やがて、MacOS8.5のファミコンのような(当時はそう思った)インターフェイスに惹かれ、段々Macが欲しくなった。そして買ったのがPowerBook G3。30万円もの大金をはたいた。
そこから現在に至るまで、数台のMacを所有したが、一番、所有欲を満たしてくれたのがこのG3だった。曲線を主体としたボディで、トップの部分が、ゴムとプラスティックで素材が分かれていて、その手触りが素晴らしかった。またキーボード部分が半透明のコーヒーブラックで、これがまたかっこよかったんだな。
当時の愛嬌のあるOSとエレガントなハードウェア。どちらが欠けても当然Macとは言えない。そして現在に至るまで、アップルの製品は、ソフトウェアとハードウェアの絶妙な組み合わせの上に成り立っている。このアップル製品の”感じ”はそれまでのどの工業製品も持っていなかったもので、けっして大げさな表現ではなく、人類が初めて体験する類いのものだったと思う。iPhoneなんかはまさにその典型ではないだろうか。iPhoneの持つあの”感じ”。10年前にタイムスリップして、当時の私にiPhoneってこんな感じだよ、と言葉で説明出来るとは思えない。
・・・あんまりジョブズと関係ない話だな。でも、初代iMacから始まり、その間にもMac以外にiPod nanoや、そして現在はiPhoneを使っているが、これらの素晴らしい体験をもたらしてくれたのは、やはりジョブズのおかげなんだな。ジョブズが描いていた将来の夢を、これから一緒に体験することが出来なくなる、というのは非常に残念なことだが、一方で、さまざまな夢のある製品にリアルタイムで触れることが出来た。これらの製品群は単なる工業製品ではなく、それ自体が、ひとつの意思表示であり、未来へ繋がる提案であった。
私は昔、F1が好きだったので、よくアップルをF1のフェラーリチームと似ていると思ったものだった。F1はシャシーを製作しチームを運営する組織とエンジンサプライヤーが異なる場合が多く、例えば、『マクラーレン・ホンダ』みたいにそれぞれの組織名がマシンの名称になっていたが、フェラーリはシャシーもエンジンも作っていた。だからチーム名も『フェラーリ』。真紅のボディに12気筒の甲高いエンジン音が、サーキットで独自の存在感を示していた。そこにあるものは美学だった。フェラーリは常に最強ではなかったが、花があり、またF1に重みを与える存在であった。
ジョブズを失ったアップルであるが、アップルにはフェラーリの様な美しさを保ち続けてほしいと思う。1つのパッケージであることの可能性と美学。本格的にハードウェアを手がけてきたことのないMicrosoftやGoogle、Facebookが簡単に真似することが出来ない、ソフトウェアとハードウェアの融合という素晴らしい技術がアップルにはまだある。これは相当なアドバンテージだと思う。
とにかく・・・スティーブ・ジョブズは私にいい夢を見させてくれた。工業製品という量産品を手掛けながら、そのひとつひとつに魂を吹き込んだ。奇跡だとしか言いようがない。だれかが、「神様もiPhoneを欲しがったのだ。」と書いていたが、そうであれば仕方がない。ジョブズも自らのスピーチで述べた通り、誰一人として死ぬ運命からは逃れられない。会ったこともない赤の他人であるが、ジョブズの訃報を聞いたときは、かなりショックで、改めて私がいかにジョブズや彼の作った製品群に心を奪われていたか、を実感した。
やたらとくさいことを書いてしまったが・・・ありがとう、スティーブ・ジョブズ。多分、死ぬまであなたのことを忘れない。