先週末は、キューブリックの「バリー・リンドン」を観た。どういうんだろうね、非常に感想を述べるのが難しい映画だ。「2001年」のようにそれまでの映画の概念を変えてしまうような映画でもないし、「時計仕掛け」ほど、狂気じみているわけでもない。しかしながら、他者には絶対まねの出来ない絵作りと、人々の運命を超客観的視点から冷徹に見つめる視線は、キューブリック作品以外の何者でもない、というぐらいキューブリックらしい作品になっている。
ただ、平凡な日常シーンも息詰まる緊迫するシーンもどちらも淡々とあまり緩急をつけることなく話が進んでいくので、主人公ですら、時代と運命とに翻弄された一脇役の様な印象で、観終わった後に感じるのは、主人公や周りの人たちに対する怒りとか同情とかそういうものではなく、18世紀という時代そのものを見せられたような印象が残った。
全編、美しい自然と豪華な中世の建物が絵画的に描かれ、このあたりはキューブリックの面目躍如というか、キューブリックにしか撮れない映像だと思うが、それにしても感じるのは、人間は結局いつの時代も、人や社会にしか関心がない、ということ。ごく稀に自然や建築物に目をやることはあるが、ほとんどは、どの様な組織の中で、どの様に生きるか、自分が有利になるためには、誰につくべきか、そんなことばっかり考えてるんだね。
最後のエンドロールの「みんな最後はあの世行き」というのは、キューブリックらしいブラックユーモアである。キューブリックは人間についてどう考えていたのかね。どこかしら、みんな最後はあの世行きなのに、なにせこいことで争ってるんだ、とは絶対思っていたと思うが、その一方で、そういったダメな人間をどれだけ愛していたか・・・。