2017年のゼルダとドラクエ。

ゲームの話ばっかりだな、最近は・・・。

それはともかく最近3DS版の『ドラゴンクエスト11』(以下、ドラクエ11)をプレイし始めた。『ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド』(以下、ゼルダ)のエンディングを見て、割とすぐにドラクエ11をやり始めたので、そのゲーム設計の時代の差にカルチャーショックを覚えるほどだった。もちろんどちらがゲーム設計に古さを感じるかと言えば、発売日は後であるがドラクエ11の方が、古さを感じる。まあ軽く15年は差を感じるだろうか。『ドラゴンクエスト11』は今のところゲーム設計的に『ドラゴンクエスト8』とさほど印象差がないので、そんなに大げさに言ってる訳でもないことを分かってもらえると思う。

これは別にドラクエ11をディスってる訳ではない。ドラクエはオセロや将棋と同じ様にもはやドラクエというゲームのジャンルのひとつなのであり、もはや新しいも古いもない。むしろ流行りのテクノロジーに引っ張られた要素が入っているとむしろ邪魔に感じる。3D表示でどこでも行ける様で決まったところにしか行けない街中、全く起伏のないマップ。反射神経を全く必要としないボードゲームの様な戦闘。だけどもそれらが全てがドラクエらしい。システムが必要以上に複雑ではなく、よく考えられたUI。UIが分かりやすいからこそ、冒険に集中出来る。今回のドラクエ11は完全にドラクエの流儀に戻っていて、やはりそこが面白い。開発者というのはどうしても新しい要素、新しいハードで実現可能になった表現を入れたいと思うのが常だと思うが、そういった開発者のエゴを封印し、100%ユーザーの望む形で開発したのは、実は凄いことだと思う。

後、3DS版のドラクエ11ではサブクエストで2D画面の本当の昔ながらのドラクエの世界に入り込めたりする。そこで、非常に懐かしいギミックに遭遇した。2Dのドラクエでは屋外から屋内に入ると屋外がブラックアウトするのだが、屋内にいるときにそのブラックアウトされた画面のどこかに見えない屋外への入り口がある場合があって、黒い画面に向かって十字キーを押していると思わず屋外に出られる仕掛けがある。これは3Dでは表現しえないギミックであって、こういう点ひとつ取っても、表現が進化したことによって逆にゲーム性が損なわれてしまうことがある、という証明になっていると思う。

さて、翻って改めてゼルダ。途方もない広いマップ。底なしの谷に聳え立つ山々。刻々と変わる自然状況。全てがきちんと物理法則に支配されたオープンワールド。だけれども、リアルで自由であるほど、想像力は削がれ、ゲームの目的もぼやけてくる。それでも完璧ではないものの、えらく高いレベルでリアルになる一方の現代のゲームならではの欠点をうまくカバーして、ゼルダは新しい境地のアクションRPGを作った。このゼルダは今後少なくとも10年ぐらいはオープンワールドゲームのマイルストーンとして常に標準となるような凄いゲームだと思う。だけれども、やはり自由すぎるがゆえに、クリアするのにとんでもなく時間がかかる。私の場合、サブクエストをかなり飛ばしてそれでも160時間超。で、恐らくこの160時間の半分は、馬での移動、山登り、崖下りなどフィールドの移動時間である。これも良し悪しだと思う。それに比べれば、ドラクエはエッセンスしかない。ただ、ゲームというのは、何かゲーム性のあるものにフォーカスして遊びにする訳だから、エッセンスだけあれば問題ない。

リアルで自由でゲームの中でなんでも出来るのかいいのか。それともパックマンみたいに、プレイし始めたら全く息つく暇もなくレバーを動かし続けなければならないほど、遊びの要素だけが凝縮されているものが良いのか。こういうのは永遠のテーマなのだと思う。

それにしてもゲームにもしっかりと歴史あり。新しい時代のゲームの標準に挑戦したゼルダと古き良きドラクエに立ち戻ったドラクエ11を同じ年にプレイするというのは、それなりの古参のゲーマーとしてはこれ以上ない喜びと言える。

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