太宰治の「斜陽」読了。キンドルで。

キンドルで。っていうのは別になくてもいいんだけど、一応事実なので。あ、後、ネタバレありなので、これから「斜陽」を読む可能性がある人はこのエントリーはもしかしたら読まない方がいいかも。

そんな前置きはともかく、読んだねー「斜陽」。太宰作品はこれで「人間失格」に続いて2作目だけど、私は「斜陽」の方が好きだなー。「人間失格」はあまりに自分のことを書きすぎていて、どこか小説の体をなしていない、というか・・・むしろ、独白そのものであるからこその迫力はあるんだけど。そこへ来ると、この「斜陽」は主人公がまず女の人である。太宰自身の分身では決してない。そしてプロットも、最後のシーンで、主人公かず子が上原に対して、上原の奥さんに自分が身ごもった子供を是非とも抱いてもらいます、と迫ることで、物語として見事に纏まっている。

話の序盤は、没落していく貴族出身の母娘を静かに描いていて、いつぞや読んだチェーホフの様だな、と思っていたら、小説の半ばでかなりチェーホフについて言及している部分があり、本当にチェーホフの戯曲を意図して真似てたんだと分かった。

ところがどっこい。母親の死の克明な描写あたりから小説の雰囲気が変わってくる。そして、突然の直治の死。直治の遺書によって直治自身の背負った業を聞かされる辺りの物語の展開のうまさは、なんだか松本清張にも通じるものがある。(果たして松本清張は太宰に影響を受けたのだろうか?)

直治の遺書は、やはりそのまま太宰の心模様を写した内容になっていると思うが、・・・これは冒頭にも書いたけど、最後にかず子が妊娠し、上原の奥さんに我が子を抱かせることで、直治のささやかな希望を叶えようとして、話が終わるのは見事。同じ”貴族”でありながらも、生きることが出来なかった直治と、雑草の様に生き抜く覚悟をしたかず子の姉弟の違いには考えさせられるものがある。

それにしても、太宰は罪作りだなぁ。作者の太宰自身が入水自殺という形で命を終えていること自体が、それぞれの小説に微妙な意味を持たせている。

さて・・・来週のサザエさんは・・・ではなく、太宰は滑稽話もうまい、ということを小耳に挟んだので、今度はそっち方面の作品も読んでみたいと思う。

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