あまりに久々すぎて、当初、何を書きたかったのかすっかり忘れてしまったが、一応続けてみることにする。
一応、こちらが前回記事。
「馬鹿ラッチ2.0 — 新しいデジタル・デバイド 〜その壱〜」
今回は情報のたこつぼ化について。
一部、一冊の新聞、雑誌には色々な情報が載っている。そこには決して自分が欲しい情報ではなかったが、たまたま目にして興味をもった、というものもあるだろう。新聞は言うに及ばず、読者のターゲットを絞った雑誌でさえ、隅から隅まで自分の欲しい情報だけ載っている、ということはあり得ない。そして、自分の知らなかった世界との出会いをもたらしてくれる、というのが、新聞、雑誌の重要な役割だったりする。
そこで危惧されるのが、インターネットにおける情報のたこつぼ化。ネットでの情報はそもそも新聞、雑誌の様に情報がパッケージになっているのではなく、ばらばらに届けられる。もちろん、あるサイトの記事を端から端まで読むことは可能だが、パソコンのモニターに向かっている時の我々はせっかちだ。新聞、雑誌をゆったりと眺めるのとは異なり、必要な情報だけを効率よく収集することに腐心する。
新聞、雑誌を見るときの我々とパソコンに向かう時の我々はどうして姿勢が異なるのだろうか? 新聞、雑誌は一方通行のメディアである。こちらはただ情報を受け取るしかない。しかし、ネットは双方向のメディアだ。必要と感じたすぐそばから、ブックマークし、場合によってはブログのコメント欄、ツイッターなどで自分の意見を述べることが出来る。そうなると自ずとそれぞれのメディアに向かう姿勢も異なってくる。
ただ、それ以上に私が感じるのは、媒体の見やすさ、扱いやすさだ。新聞、雑誌は視認性が良く、どんな姿勢でもきちんと記事を読める。一方のパソコンは、反射光のきつい液晶モニターで、見づらい文字を目で追わなければならない。それに、ノートパソコンといえども、リラックスして見られる姿勢は限られている。
そこで期待したいのがiPad。寝そべっても十分に見れそうなこの端末は、従来のパソコンと異なり、リラックスした状態で新聞、雑誌を読むようなオフの感覚で、画面を眺めることが出来るかもしれない。iPadが普及すれば、素早く情報を得る為には邪魔な存在でしかなかったリッチなビジュアルが、再び脚光を浴びる可能性も大きい。
・・・少し話が脱線した。つまり、ネットではどうしても効率的に自分の欲しい情報のみを得ようとするため、結果、自分の興味のある範疇の情報しか頭に入って来ないのではないか、というのが情報のたこつぼ化の問題提起である。
それに対しての答えはハッキリとNOだ。仮に自分の欲している情報以外のものが全く目に入ってこないのであれば、それはシステム側の欠点というべきである。
ツイッターを例に話を進めると、例えばとても有益な情報を発信する人がいたとして、私がその人をフォローする。しかし当たり前のことではあるが、そのフォローされた人は自分の関心事以外のこともつぶやいている。有益な情報をシグナル(S)、それ以外の情報をノイズ(N)とすれば、私にとってはそれは関心事以外のつぶやきはノイズである。では、シグナルだけを求められるメディアが良いかと言えば、決してそうではない。実際にはほどよいSN比でないと読みづらいし、長続きがしない。それにノイズだと思っていた情報が、いつしかシグナルになる可能性だってあるのだ。
結局、我々自身が情報のたこつぼ化を望んでいないし、ツイッターなどの優れたサービスでは、きちんと偶然性が用意されている。むしろ自分に有益なシグナルを得ようとすればするほど、ノイズがくっついてきて、より自分が知らなかった世界について、触れる機会が多くなるのではなかろうか。故に、これからのネット上でのメディア、サービスではほどよいSN比が必要となるし、またそうでないものは廃れていく運命にあると思う。