レディー・ガガ、車椅子パフォーマンスで批判される。

たまには時事ネタでも・・・って時事ネタというほどでもないが。

レディー・ガガ、車椅子パフォーマンスで批判される (Movie Walker) – Yahoo!ニュース

ヤフーニュースの寄せられたコメントをツラツラと見ていたが、私はこの抗議を寄せたとされる擁護団体が、レディー・ガガを非難することによって、障害者を逆に孤立させるというか、特別扱いされたままの状態に押しやっているという意見に賛成する。その方が、擁護団体にとっても利益がある、と言うと流石に言い過ぎか。

レディー・ガガも車椅子を使ったパフォーマンスが、どのような反応を生むかを全く考えないほどイノセントではないと思うよ。そりゃまぁ、不快に思う人もゼロではないとは思うが、それよりも彼女はタブーによってパフォーマンスが制限されることの恐ろしさに打ち勝つことの方が重要だ、と判断したのではなかろうか。

昔・・・ジョン・レノンがまだビートルズにいた頃、彼らのコンサートの最前列に身体障害者の一団が陣取っていたことがあって。その時にジョン・レノンは、ステージの上で体が引きつったようなポーズで、拍手をしてみせた。これを最初に見たときは私は流石に不謹慎だと思った。しかし、ジョン本人の言葉か、ポール・マッカートニーの言葉だか忘れたが、ジョンにはこれらの人々たちの存在が非常にショックだったらしい。不幸な境遇に生まれた人々。その境遇にめげずにいる人、めげてしまっている人。そして、それらの人々をダシにして、我先にとサインや握手を求める保護者や擁護団体、それら全ての現象が。

ジョンのナイーブな感性はジョン・レノンの「イマジン」というビデオを見ると分かる。ある日、ジョンとヨーコの屋敷に熱狂的な・・・はっきり言えばちょっと頭のおかしなファンが闖入してきて、ジョンの詩について言及する。ジョンはショックを受けた様子でありながらも、とても心配そうに「現実と混同するな。あれは単なる言葉遊びでディランだってやっている」と丁寧に説明し、「一緒に朝食でもどうだ?」と彼を食事に誘う。

端的に言えば、その人の一時のパフォーマンスを見ただけで、それが不謹慎かどうかを判断することは出来ない。レディー・ガガが車椅子を使ったパフォーマンスについてどの程度の考えがあったか私は知らない。しかし、そのことを非難し、他のパフォーマーや一般人に恐怖心を植え付ける様なことは絶対に良くないことだと断言出来る。タブーとされる行為を敢えて行い、非難を浴びることの裏にある優しさを、そして一見善良な行為の裏に隠されている偽善について、我々は常に注意深くならなければいけないと思う。

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