歴史を科学する。

 
歴史の参考書を読んでいたら、冒頭に『歴史学は科学的に検証されていない時点で学問として未熟である。』とか書いてあって、この人は唐突に何を言い出すんだろう?と思って、読み進めてみたら、物理学でも数学でも、物事を単純化、抽象化して、その後に公式を発見し、その公式を利用して更に新たな事象の証明、発見をしているが、歴史学というのはそういった段階に達していない、みたいなことが書いてあった。

それを見て、エライことを考える人がいるもんだな、と驚いたというかなんというか。私なんてそのまえがきを見るまで、歴史学に対する科学的なアプローチなんて全く考えもしなかった。歴史は色んな事象の偶然が重なった結果とも言えるから、これを抽象化するのはかなり難しいが、それでも、物理も数学も、例えば心理学でさえ、そういうところから一生懸命共通項を見出して単純化、象徴化をやっているわけだからね。

ところで歴史学を科学的に検証するとどうなるのだろう? よく人間は歴史に学ばないとか言って、未だに戦争が無くならないことを嘆く人がいるが、歴史学が科学されたら、人間が戦争に至る為の条件や法則が公式化され、これとこれとこの条件さえ発生させなければ、戦争は絶対に起こらない、とか、そんなことが可能になるのかもしれない。あるいは人間が人間である限り、戦争は避けられないと科学的に証明されてしまうか・・・。

それでも、そろそろ歴史全体を捉えて、例えば行動経済学みたいな、科学的な学問が起ち上がってもおかしくはない。民主主義、独裁国家、国の統治システムは色々あるが、国の状態がこうある時はこの統治システムが最適だ、とか、国と国がどういう状態になったら戦争は不可避だ、とか、細かく章立てして推論していけば、何か取っ掛かりぐらいはありそうだが・・・。さて、先人はなんと言っているのか、ググッてみるとコトバンクに少しだけ定義が書いてあった。

歴史科学(レキシカガク)とは – コトバンク

うーむ、昔の人も色々考えていたみたいだが、やはりすごく単純化、専門化されたものはないみたいだな。例えば、歴史科学なるものがある程度確立されたと仮定して、それを元にコンピューターが人間を支配する物語とかあったら面白そうかも。それって、オーウェルの『1984』じゃねぇか、という声も聞こえそうだが、ああいうディストピア的なものに限らず、多少なりとも統治システムの判断基準にも言及している様な小説。

以上の様なことをつらつらと考えてみたが、私の頭脳ではこの辺りが思考の限界点であり、なおかつまとまりのない話になってしまったので、この辺りでこのエントリーを終えたい(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です