星野監督の訃報は思ったよりショックだったな・・・。(私の中での星野仙一は星野さんでも星野SDもなくやはり星野監督だ。) この5年ぐらいの有名人の訃報の中でも一番ショックだったかもしれない。NHKのスポーツニュースで、山本浩二と田淵のインタビューの動画を見たが、山本浩二は「早すぎるよ、ばかやろうと言いたい。」と語り、田淵は両手のひらを合わせ「ほんとにさよならなんだな。」としみじみと語っていた。
私は阪神ファンなので、星野監督の思い出として一番に思い起こされるのが、2003年の阪神対ダイエーの日本シリーズ。斉藤和巳、和田毅、杉内を擁するダイエー相手に3勝4敗という成績でおしくも日本一を逃した。その後も阪神は2005年、2014年と2回日本シリーズに駒を進めているが、それぞれ0勝4敗、1勝4敗だったので、近年ではこの星野監督時代の2003年がもっとも日本一に近づいた瞬間だったと言える。
この時、私は素直に抱いた印象は、明らかにシーズンの後半失速気味だった伊良部を2回先発で使い、どちらも試合を落としたので、星野監督はシーズンを戦うのには適した監督だが、短期決戦では非情になりきれないところが出てしまう監督だな、というものだった。まあでも今にして思えば、勝負に厳しく、でも人に優しくという星野仙一という人柄がまさに凝縮されたような1年の戦いぶりだった。
2008年の北京五輪の野球監督の時、金メダルを期待されながら4位に終わる、という結果に終わり、その時、マスコミからも、そしてネットからも結構叩かれたのはちょっと気の毒だった。私は星野監督は少なくとも数年チームを預かってチーム力を上げていくタイプの監督であって、サッカーの日本代表監督みたいな、即席チームの指揮はどうかなぁ、と思っていたが、果たして結果も恐れていた通りのものとなった。だからと言って、誰が悪いと言えば、誰も悪くないし、強いて言えば、星野監督を選んだ方が悪いかな、と思っていた。
この時の星野批判で、目立った論調が、もう鉄拳制裁の様な選手を萎縮させる采配やこういったタイプの上司は時代に合わない、というものであったが、私はこれは違うと常々思っていた。確かに星野監督は選手をめちゃめちゃ震え上がらせていた。だけども、その裏には、勝利への執念、そして何よりも選手への愛情があった。ただ自分が利するために他人を恫喝するような人では決してなかった。そこを分からない人がこんなにもいるもんかなぁ、とも思った。
昭和がまた遠くなった、と書いていた人がいたが、平成ももう30年で、平成に入ってからも十分に活躍された方なので、なんかそういう表現もしっくりこない。もっと近親者が亡くなった感じに近い。まあ・・・寂しいね、としか言いようがないね、今は。