一昨日の夜、彼女から「今夜話がしたい。」とのメールが携帯に届いた。が、私が実際にそのメールを見たのは、翌日の明け方で、メールが届いたであろう時間には既に私は寝ていて、翌朝、そのメールと不在着信の履歴を確認したのだった。私はいつになく簡素な内容のメールに一抹の不安を覚えた。・・・もしかして別れ話だろうか? そんな考えが頭をよぎって、何となくもやもやした気分でいると、9時ごろに彼女から電話がかかって来た。結論を言うと”話”というのは別れ話ではなかった。が、その”話”の内容は、別れ話以外に考えうる最悪の部類の話であった。
・・・あれ? なんか小説っぽくなってしまったが、事実だけを簡潔に書くとこういう形になってしまうので致し方あるまい。・・・話の続き。その”話”の内容とは、彼女の勤めている会社が来月に潰れてしまう、ということだった。不甲斐ない私への三行半でなかったことに多少安心したが、その一方で非常に驚いた。会社の雲行きが怪しい、というのは何となく聞いていたのだが、こうも突然に終わるとは彼女も考えていなかったらしい。なんでも彼女の上司もその知らせのあった当日まで全く聞かされてなかったとか。
まあ、そんな訳で、彼女は会社の残務をこなしつつ、会社や同僚の動向、そして、おそらく就職活動も始めるだろう、ということで、とにかく仕事確保に全力を傾けたい、とのことで、私とは連絡を取り合うぐらいにして、我々はしばらく会わないことに決めた。そして・・・しょうがないことだが、今年の秋の二人でのニュージーランド旅行も当面の間、保留という形になった。・・・この事をニュージーランドの友人に知らせなければならないのだが、彼とは私の英語の勉強も兼ねてメールする時は英語で、という縛りがあるので、取り合えずこうしてブログで先に書いてしまっている。もしかしたら、メールより先にこの記事を読んでしまうかも。ま、もし読んでいたら、そういうことなんだ、またメールするけど。
彼女が働いているのは出版業界。今回の金融恐慌も追い討ちをかけたのだろうが、どうやら話を聞いていると、印刷業界自体の構造的な不況を彼女の勤めている会社がそのまま体現してしまったような気がする。彼女自身はとある情報誌の編集に携わっているのだが、まあこれは直接聞かされた訳ではないのだが、読者の相当数をウェブに持って行かれているようだ。紙媒体というのは決して途絶えることはないと私は思っている。小説の様な長い文章を読むにはやはりモニタは適していないと思うし、趣味性、嗜好性の高いものも一瞬にして消えてしまうスクリーンよりは紙媒体の方がアドバンテージがある。しかし、一般的な情報というのは、目的がある程度決まっていれば、ウェブで検索して探す方が圧倒的に速いし、更には地図アプリなどと連携していたりして、ウェブの方は進化する一方だ。客観的に見れば、ゼロにはならなくても、蒐集の対象にならない月刊、週間の情報誌はかなり廃れていくには違いない。
電話ごしで動揺を隠せない彼女に、こういう時こそチャンスなんだから、前向きに捉えないと、などと励ましておいたが、電話の後、やっぱり私も凹んでしまった。いや、チャンスってのは決して口から出任せを言った訳ではなく、別に嘘じゃない、と思うんだけど、それでもピンチには違いないからね。私に話を聞いてもらって、また多少の励ましの言葉をもらったことで、多少は落ち着いた、と電話越しで彼女は言っていたが、それでも、また現実を目の前にすると、私の励ましなど軽くすっ飛んで非常に不安に駆られることであろう。それを思うとすこし辛い。
それでちらと考えたんだけど、私はかなりの悲観論者で生きていくことは辛いこと、と思っている。しかしながら、こういうのをなんというのだろうか、悲観論者のオプティミストとでもいうか、それこそ、さんまじゃないけど、生きてるだけで丸儲け、とも思っていて、なんというか・・・ボクシングでいうと、どれだけKOされようと試合終了までは、少しのインターバル以外はまたファイティングポーズをとってリングに出て行かなくてはならないボクサーと同じ運命にあるというか・・・。つまり、リングサイドで私が大丈夫だ、まだやれる、と励ましても、いざ相手に向かって行く時は一人で、あっと言う間に不安に駆られ・・・、まあ、その繰り返しが人生であって、それでも、途中途中で必ずリングサイドには戻ってくる、という・・・。この話分かりにくいかなあ?(笑) とにかく、私がいくら励ましても、戦うの彼女自身であり、私が直接、手助けをすることは出来ないが、それでも決して無意味なことではないと思うので、私のやれる範囲で彼女をサポートしてあげたいと思う。