「Kenko DSC-517」買った。

重度のカメラ患者である私が、また新たなるドラッグ(カメラ)に手を出してしまった。

それは・・・。


と、前回と同じことを書いて、皆さんのご機嫌を伺ったところで、「フォトログ・馬鹿ラッチ」にも書いたけど、「Kenko DSC-517」を買った。

写真は使い回しだけど、こんな感じ。

VQ1005と違って、造りはちゃちではあるけどコンデジの基本は押さえてある。吐き出す画も意外とクリア。ここまで書くと普通のデジカメ買ったみたいだが、さにあらず。取り合えず、ここでは、昨日撮った、赤坂サカスの写真を載せたいと思う。

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この日はピーカンの天気。それにも関わらず、その現実を拒むかのような、荒涼とした写真を量産する。これが、ソニーやオリンパスのコンデジだったら、回収騒ぎになるだろうなぁ(笑) 普通のデジカメを期待した人も、やっぱり安かろう、悪かろう、だったか、とガッカリするに違いない。

しかしながら、この哀しげなトーンが素晴らしい、と思う。写真って、基本的は過去の記憶だと思う。撮った瞬間から過去になっていくというか。見た目を忠実に再現しようとするカメラだと、あたかもその瞬間にタイムスリップした様な感覚が得られるが、このカメラではそういった感触は一切得られない。撮った瞬間から色褪せていて、ハッキリと、これは過去の出来事です、ということを主張している感じがする。現在に対する拒絶というか。大げさかもしれないけど、そういう意味では写真の本質を突いている様な気がする。

一方、現在人気沸騰中のVQ1005。このカメラもいいカメラだとは思う。しかしながら、流石に粗が目立ち過ぎる。均一で壊れない電化製品に慣れた日本人である私にとっては、ちょっとこのルーズさは受け入れられない部分がある。ルーズと言っても、決して写真の写りのことではない。写りはむしろルーズな方が良い(笑) そうではなくて、工業製品としてちょっとダメとということ。まず最初に無駄に電池を喰い過ぎる。なんでも、内蔵のメモリーの記録を消さない為、電源オフでも常に通電してるのだとか。それと電圧に対してえらくセンシティブで、きっちり1.5Vの電圧がないと、すぐ画像に縞々が現れる。エネループなんかだと1.2Vなので、フル充電でも最初から縞々が出る。新品の電池でもしばらく使っているとこれまた縞々が出る。写りがルーズなのは味だからいいけど、この縞々が入るとかなり興ざめする。

それでも、標識などを撮るとほぼアートな作品が出来るし、ゲラり写真も面白いし、何しろ小さいので、バイクに乗っていても信号待ちの間に写真が撮れる。そんな訳で、これはこれで十分面白いだけに、造りが雑なのがかなり残念。

さて、最後にデジタル一眼レフ。K100D Superは600万画素で流石に古くなってきた感じがあるが、買い替える予定は一切ない。ISO感度800でも十二分に常用使用範囲で、しかもK100D Superより小さい、という機種がペンタックスで出れば、真剣に買い替えを検討するけど、なんだかペンタのカメラも大きくなる一方だからなぁ。K200Dを店頭で持ってみたけど、更に厚みが増していて、こんなの嫌だ、と思った。そういう意味では、ニコンのD60とかはいいよね。デザインがいいし、小さいし。でも、手ブレ補正をレンズ側でやるなんて、どう考えても非効率だと思う。レンズ全てに手ブレ補正機能が付いてるなんて、なんか資源の無駄というか・・・。それに、K100D Super以上の高解像度とかにもそれほど興味はない。高解像度やより高いダイナミックレンジを求める人を批判するつもりはさらさらないけど、僕のレベルでは、K100D Superでも十分過ぎるほどで、今はカメラの性能より、被写体の選定や構図の切り取り方、レンズの特性を考慮した作画の仕方などをもそっと勉強したい。
それよりも、今はレンズだなぁ。こればっかりは、次から次へとあれが欲しい、これが欲しいで止まらない。

ま、ぐだぐだ書いたけど、これが今の僕のカメラに対するキモチ。

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