今日、遅まきながら、アバターを観てきた。とにかく衝撃的な映画だった。だが、一緒に観に行った彼女にその凄さを説明しようとしても、ストーリーは古典的、王道的なものだけど映像は凄かった、としか言えなかった。決してそういうレベルの映画だと思った訳ではない。だが、この映画の凄さをどうしても言葉で説明出来なくて、それがもどかしかった。
え? 表題と書いてること違うじゃないかって? まあ、それについては後で説明するとして・・・。
まあ、ストーリーとしては本当に、手垢が付きまくった勧善懲悪メロドラマ、と言って差し支えない。しかし、アバターに関して言えば、完全にマッチしているプロットだと感じた。私はこのプロット、わざとだよな、とそう思った。わざと対立軸を分かりやすくしている。なぜだろう?
そう思ってネットで調べてみると色々、心の中の整理がついてきた。
この映画の脚本は既に10年前以上に出来てきたそうである。しかし、最近までそれを再現する手法がなかったということだ。調べてみるとこのジェームズ・キャメロンという監督はタイタニック以前から映画製作そのものよりも、映像表現の限界を押し広げる、特にカメラを用いた映像表現の枠を広げる、ということに興味が向いてしまったらしい。どの様にしたら、カメラがカメラの枠を破れるのか? そして彼はパフォーマンス・キャプチャーという手法を開発する。
これによっていよいよ彼自身が許容し得るカメラ撮影による新しい映像表現が可能になった。
ここでジェームズ・キャメロンが偉かったこと。新たな映像表現を決してマニアの為のものだけにしなかったこと。新たな映像表現をオタクではない普通に映画を観に来る人達に向けてどう発信するか。
そこで出てくるのが、今回のプロットである。このプロットで低予算のアニメを作ったならば、顰蹙間違いなしであろう。しかしながら、誰しもが理解し、そこに感想、批評を加えることが出来るこのプロットは、あまりに過激で最先端の映像を中和し、人々にその映像を映画として認識させるのにはもってこいである。
「アバター観たけど、ストーリーが陳腐で面白くなかった。」
こういう感想を聞くとジェームズ・キャメロンは怒るどころか、むしろ狙い通りだと、ニヤリとするのではないだろうか。映画を観た人がストーリーについて言及するということは、すなわち、アバターのあの映像を普通に受け入れたということである。つまり、あまりにハイテクすぎて、素人にはついてこれなかったかもしれない映像表現を、彼は無事大衆の元に送り届けることに成功した、ということだ。
この高度な映像表現と単純なプロットを組み合わせることは、相当に難易度が高いことだと思う。恐らく、これから2、3年はアバターもどきがいっぱい出てくるだろう。しかしながらそれらの大半は残念な結果に終わるはずだ。なぜなら、高度な映像表現とプロットが分離してしまって、映画としての体を成さないであろうからだ。
ともかく、新次元のVFXを見事に一般大衆に届けてみせたジェームズ・キャメロンの功績は大きいと思う。アバターが失敗していたら、一般大衆が違和感なく新次元の映像を受け入れるのにもう5年は掛かったのかもしれない。
面白い、面白くない、の評価は人それぞれだと思う。それはそれとして、映画の歴史の変わり目を目撃するつもりでこの映画を観て欲しいと思う。去年末から公開されてるから、そろそろ上映も終わるはずだ。その前に是非映画館で観て欲しい映画だ。
参考サイト
「■ジェームズ・キャメロン監督『アバター』 パフォーマンス・キャプチャー技術と3Dフュージョンカメラ: ★究極映像研究所★」
「Togetter – まとめ「@tricken による「アバター」感想まとめ」」
ブログの村ちゃんはかなりカッコ良い。
惚れますわ(・∀・)
「ブログの」とついてるところがポイントかな?(笑)
ブログでは、web人格を活用して割とガンバってます。