村上春樹著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んでる途中経過。

そんなもん、読んでからにせぇよ、と思われるかもしれないが、なんだか全部読んだところで感想を書かない様な気がするので今書いておく。私は自分自身の評価によっぽど自信がないのか、ついついアマゾンの評価を見てしまうのだが、今回の『多崎つくる』はやけに辛い評価が多い。私としてはそこまでひどいかね?と訝ってしまうが、まあ昔のドラクエ並の騒ぎになってたからね。私が思うには、期待値と作品の質に誤謬があったような気がする。誤謬? こういう使い方であってるのかな、この言葉。言葉を換えれば、果たして批判をしているのが、首を長くして待っていたファンかどうかは知らないが、発売を目前にして50時間は遊ぶつもりのRPGのつもりで買ったら、5時間であっさり終わってしまうテキストアドベンチャーゲームだった、みたいな齟齬があったとでも言うべきか。
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2011年、今年の映画ベスト3。

mixi日記に書いた映画評の転載。当ブログの年末を締めくくるに当たって、取りあえずまとめ記事的なものでお茶を濁せばいいだろう、という安易な発想。そして、記事の使い回し(笑) ま、この記事を眼にする人、トータルで10人もいないだろうから、それでもいいよね。では、早速気楽にランキング発表と行こう。

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【映画評】『レスラー』を観て。

遅ればせながらミッキー・ローク主演の『レスラー』をDVDで観た。ミッキー・ロークと言えば『ナイン・ハーフ』もそうだが、私は『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』の印象が強く、それだけに最初に顔がハッキリ見えた時は(なかなか見せない演出なのだが)、「・・・誰?」と思ってしまった。

大まかなストーリーはネット上に既に数ある映画評が書いてしまっているし、アマゾンのレビューのトップにはご丁寧にラストシーンすら書いてある。で、実際その通りの映画であるから困る。観る意味のある映画を観たい、と思うから、ついついレビューを見てしまうが、事前にあまりにレビューも見すぎるのもどうか、とちょっと思ってしまった。正直に言えば、ネット上で書かれているあらすじから、はみ出るようはシーンもなく、ストリッパーとの恋、娘との不和、などもそんなに劇的には描かれてない。なので、観た直後は、「確かにいい映画だけど、みんな激賞するほど感動もしなかったかな。」というのが正直な感想だった。

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小説の存在意義。

Tumblrを眺めてたら、こんな記事があった。

“昔、筒井康隆の作品に影響をうけて、高校生がおじいちゃんを殺したという事件がありました。本人が「筒井作品に影響をうけて」と、はっきり言っちゃったんですよ。
あの時の筒井康隆は偉かったよね。
「文学とはそういうものだ」ってはっきりと言い切ったんです。
文学というのは人の心を立派にするようなものではなくて、人の心を下品にしたり、殺人者を生んだりする毒である。毒であるからこそ素晴らしいのだ。この世の中にはない「毒」がつくれるからこその文学である。
だから俺は「俺の作品で人殺しが出た」ということを誇りにはしないが、隠そうとも思わない。”


岡田斗司夫『遺言』

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芸術と時間。

マイミクさんが「携帯電話でもこれだけ高性能の動画撮影機能が付いていれば、そのうち静止画の必要性がなくなるんじゃないだろうか。」という主旨のmixiの日記に残していて、それについて、コメントを残しておいたのだが、そこで多少考えることがあったので、ここで再び論を展開してみようと思う。

結論を言えば、やはり、静止画(写真)と動画は全く別物である、と考えざるを得ない。でも、これは感覚的に多くの人が思ってることなんじゃないかと思うけど。

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「アウトレイジ」ーリアル・エンタテインメントー 【映画評】

北野武監督の「アウトレイジ」を観てきた。

第一印象は、良く出来たエンタテインメント作品。これまでの多くの北野作品の様な行間を読むような作品ではない。ああ、観たなぁ。で、終わり。そういう意味では「座頭市」の系譜なのかもしれない。

しかししかし・・・それはあり得ないだろ!というシーンが多々あるのだが、それでも全体を振り返れば、ああ、実際にこうなんだろうな、と思わせる、かなりリアルな印象のエンタテインメント作品である。リアルとエンタテインメント。通常、両立しえないこの2つを観客に同時に印象づけるというところに監督、北野武の力量を感じた。

さて、自分で自分を俯瞰するようなメタ系の作品が続いた北野監督が、どうして今回、こういったエンタテイメント作品に真正面から挑んだのか・・・。それについて少しだけ触れてから、「アウトレイジ」について語りたい。

あ、思いっきりネタバレあり、なのでヨロシク。

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